新居関所(湖西市)概要: 新居関所(今切関所)は慶長5年(1600)に徳川家康の命で整備された五街道の1つ東海道の関所として設置されたのが始まりとされます。当地は東海道の中でも浜名湖口と遠州灘(太平洋)に面する特異な土地柄だった事から交通行政上重要視され新居関所は箱根関所(東海道:神奈川県足柄下郡箱根町箱根)、碓氷関所(中山道:群馬県安中市松井田町横川)、福島関所(中山道:長野県木曽郡木曽町福島関町)、と共に日本4大関所に数えられました。
当初は向島にありましたが、元禄16年(1703)の元禄大地震の津波により大きな被害を受け藤十郎山に移り、宝永4年(1707)の宝永大地震の津波により再び建物が倒壊し宝永5年(1708)に現在地に移りました。当時の敷地は約1町四方で面番所などの施設があり鉄砲や弓、長柄などが常備され、人物改めや荷改めが厳重に行われていました。当初は幕府直轄で奉行が管理していましたが元禄15年(1702)から明治維新までは吉田藩(愛知県豊橋市今橋町・藩庁:吉田城)に移管されました。
明治2年(1869)に関所は廃止された後は小学校や役場として利用されましたが新居関所は主要街道の唯一の関所建築として大変貴重な存在である事から大正10年(1921)に国指定重要文化財、昭和25年(1950)に国指定史跡、昭和30年(1955)に国指定特別史跡に指定されています。現在の新居関所の建物は嘉永7年(1854)の大地震で倒壊した後の安政2年(1855)に再建されたもので、木造平屋建て入母屋、本瓦葺、内部は「上之間」「中之間」「次之間」「御書院間」「御用達場」「上番勝手台所」といった部屋があります。
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