岩淵宿(東海道・間宿)概要: 岩淵宿は東海道の蒲原宿と吉原宿にある宿で、正式な宿場町ではなく、ある種利用者の利便の為設けられた間宿とされます。この地は富士川の川越を控えている事もあり、洪水など水量が増すと川止めとなり必然的に岩淵宿が利用される事になります。
又、甲斐国(現在の山梨県)と東海道を結ぶ身延道が交差する交通の要衝であった為、江戸時代中期以降、大幅に広がった久遠寺(山梨県身延町)参りの参拝者達も利用したと思われます。
岩淵村の名主であった常盤家は、岩淵間宿の小休本陣や富士川の渡船役を勤めた家柄で、現在でも当時の屋敷が残され当時の宿場町の名残が見られます。
現在の常盤家住宅主屋は江戸時代末期の安政元年(1854)に発生した安政大地震で大破後に再建されたもので木造平屋建、切妻、桟瓦葺き、桁行8間、張間5間半、建築面積249u、東海道に残る数少ない本陣建築の遺構として貴重で、「国土の歴史的景観に寄与しているもの」との登録基準を満たしている事から平成10年(1998)に国登録有形文化財に登録されています。
岩淵宿はずれにある一里塚は江戸から37里目のもので、東海道に残された数少ない一里塚として貴重な事から昭和61年(1986)に静岡県指定史跡に指定されています。
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