大慶寺(藤枝市)概要: 円妙山大慶寺の創建は鎌倉時代後期の建長5年(1253)、日蓮上人(日蓮宗の宗祖)が京都や奈良で遊学しその帰りの道中、当地で茶屋で一泊しました。その茶屋を経営していた夫妻が日蓮の弟子となり道円・妙円を名乗ると、授けられた題目の本尊と毘沙門天を安置するため敷地内に法華堂を建立したのが始まりとされます。
その後、大慶寺は何度も火災があり記録も曖昧でしたが明治37年(1904)の川替工事の際、「道円・妙円」の名が刻まれた鎌倉時代の墓碑が発見され、創建の由来が正しかった事が証明されています。
日蓮上人が手植えされたのが「久遠の松」で現在は樹高25m、根元周囲7m、枝張28mの巨木となり昭和30年(1955)に静岡県指定天然記念物に指定され、昭和58年(1983)に社団法人日本の松の緑を守る会による日本の名松100選に選定されています。
天文5年(1536)大円院の日遵は法華堂が日蓮の旧跡と知ると、当地で修行を重ねると同時に周辺住民に日蓮の教えを説き広く浄財を集めました。その浄財を元に大伽藍を整備すると寺号を「円妙山大慶寺」と改め正式な寺院として開山しています。
江戸時代に入ると歴代田中藩主の菩提寺として庇護され寺運も隆盛しましたが天和3年(1683)と宝永5年(1708)に火災により多くの堂宇、寺宝、記録などを焼失しています。
天明6年(1786)、当時の相良藩主で幕府の老中だった田沼意次が政争で敗れ、相良城が廃城になると天明8年(1788)、相良城の御殿を譲り受け大慶寺の庫裏としています。
文久年間(1861〜1863年)には14代将軍徳川家茂が上洛の際、当寺を訪れ病気平癒の祈願をしています。境内には太田資直(田中城主)、本多正供姫君、本多正珍側室、石井縄斎(漢学者)、熊沢惟与(国学者)等の墓碑が建立されています。宗派:日蓮宗一致派。本尊:一塔両尊(御題目・釋迦牟尼如来・多宝如来)。
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