西山本門寺(富士宮市)概要: 西山本門寺は静岡県富士宮市西山に境内を構えている法華宗興門流の寺院です。西山本門寺の創建は康永2年(1343)、日代上人が開いたのが始まりと伝えられています。
日代上人は日蓮上人の高弟で六老僧の1人に数えられた日興上人の高弟で、日興死後は北山本門寺の貫主を務めていましたが領主(地頭)である石川実忠や宗徒達と対立し、現在地の領主である大内安清の招きで西山本門寺を開きました。
北山本門寺とは同門であると同時に対立関係で天正9年(1581)には武田家出身とされる13世日春が武田家家臣である増山権右衛門と共に北山本門寺に侵攻し数多くの寺宝を奪っています。武田家が滅亡すると駿河を治めた徳川家康が庇護し、天正11年(1583)には寺内諸役などが免除され、幕府開府後も引き続き庇護され寺領21石6斗8升が安堵されています。
18世日順上人は千葉原家から迎えたことで後水尾天皇の姫である常子内親王の帰依を受け、下馬下乗の禁礼を建てることを許され、親筆の法華経や祈祷経が奉納されています。さらに、20世日圓上人は水戸徳川家の出身だったことから水戸徳川家から帰依の対象となり水戸光圀の支援を受け境内が整備されています。
中世以降、寺運が隆盛し富士五山(西山本門寺、上条大石寺、北山本門寺、下条妙蓮寺、小泉久遠寺)や興門八本山(西山本門寺、上条大石寺、北山本門寺、下条妙蓮寺、小泉久遠寺、伊豆実成寺、京都要法寺、保田妙本寺)に数えられ最盛期には塔中30余坊、末寺21ケ寺を擁し、境内には数多くの堂宇が建立されました。
明治時代に入り日蓮宗興門派を結成し明治32年(1899)に本門宗に改称、昭和16年(1941)に日蓮宗になるものの昭和32年(1957)に法華宗興門流の単立寺院となっています。
西山本門寺境内背後には織田信長の首塚と伝わる塚がありヒイラギが植えられています。本堂は享保11年(1726)に建てられたもので入母屋、桟瓦葺、平入、桁行11間、梁間8間、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ、内部には寛永2年(1625)に製作され厨子が安置されています。
西山本門寺鐘楼は寛文年間(1661〜1673年)に建てられたもので入母屋、桁行3間、梁間2間、本瓦葺、木組は見ごたえがあり、出入口上部の欄間と上層部の手摺部分には精緻な彫刻が施されています。総門は慶安年間(1648〜1652年)に建てられたもので切妻、銅板葺、一間一戸、高麗門、木部は黒色仕上げで木鼻には雲型の彫刻が施されています。宗派:法華宗興門流。本尊:日蓮聖人御真筆。
西山本門寺の文化財
・ 日蓮遷化記録(1巻)−弘安5年−国指定重要文化財
・ 紺紙金字法華経(10巻)−保安2年−国指定重要文化財
・ 紙墨法華経(8巻)−天和3年−国指定重要文化財
・ 法華證明タ(1巻)−弘安5年−国指定重要文化財
・ 本門寺の厨子−寛永2年−静岡県指定文化財
・ 本門寺の大ヒイラギ−推定樹齢500年−静岡県指定天然記念物
・ 本門寺の梵鐘−寛永12年−富士宮市指定文化財
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