袋井市: 可睡斎

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概要・歴史・観光・見所
可睡斎(袋井市)概要: 可睡斎萬松山可睡斎は室町時代初期の応永8年(1401)、道元禅師7代の法孫の恕仲天ァ禅師によって創建されました。寺号の可睡斎の由緒は徳川家康が幼少時に武田家との戦乱で危機に陥ると仙麟等膳和尚(第11世)身を挺して国許まで送り届けました。その後、浜松城の城主となった家康が感謝を伝えるため仙麟等膳和尚を呼び寄せ昔話などしていると和尚はついつい眠りこけてしまいました。すると家康は「和尚我を見ること愛児の如し。故に安心して眠る。われその親密の情を喜ぶ、和尚 、眠るべし」と語った事から可睡和尚と呼ばれるようになり、創建時の東陽軒から可睡斎に寺号を改めたそうです。その後も家康からの庇護が続き、広大な境内には数多くの堂塔が造営され天正11年(1583)には東海4ケ国(駿河国、遠江国、三河国、伊豆国の僧録司に指定されています。江戸時代に入ると引き続き東海4ケ国約2千5百カ寺の曹洞宗寺院を管理、さらに10万石の格式を得て寺運も隆盛しました。掛川藩主井伊直勝も帰依し寛文2年(1662)に掛川城で死去すると跡を継いだ井伊直好により可睡斎の境内に葬られ、貴外嶺育和尚(第21世)により戒名「雲江院殿月山了照大居士」が与えられています。その後は直好が寺領10石を寄進するなど庇護し、寛文12年(1672)に死去すると丹山嶺香和尚(第22世)から戒名「大勝院殿日頼春果大居士」が与えられています。

明治時代初頭に発令された神仏分離令とその後に吹き荒れた廃仏毀釈運動を受け、秋葉山が明治6年(1873)に仏教色が一掃して秋葉神社となった為、仏式である秋葉三尺坊大権現が可睡齋に遷され、以来、火防霊場として広く知られるようになりました。可睡斎は医王山油山寺(静岡県袋井市村松)、法多山尊永寺(静岡県袋井市豊沢)と共に遠州三山に数えられています。遠州三十三観音霊場第30番札所(札所本尊:聖観世音菩薩・御詠歌:みをおさめ こころをきよく まびふせぐ ひぶせのあきは かすいにおわさん)。宗派:曹洞宗。本尊:聖観音。

可睡斎の文化財
 ・ 可睡斎護国塔−明治44年−RC造、高さ17m、円形ドーム−静岡県指定文化財
 ・ 紙本墨書示了然道者法語−道元の弟子了然に与えた法語−静岡県指定文化財
 ・ 梵鐘−永正15年−西宮八王子大明神から移設−静岡県指定文化財
 ・ 武田信玄の竜の朱印状−元亀3年−遠江侵攻の際の禁制−袋井市指定文化財
 ・ 可睡斎瑞龍閣−昭和12年−木造2階建、入母屋、桟瓦葺−国登録有形文化財
 ・ 東司−昭和12年−木造2階建、切妻、桟瓦葺−国登録有形文化財

可睡斎
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