浜松八幡宮

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概要・歴史・観光・見所

浜松八幡宮概要: 浜松八幡宮は静岡県浜松市中区八幡町に鎮座している神社です。浜松八幡宮の創建は仁徳天皇御代(313〜399年)、遠津淡海の守護神として玉依比売命の分霊を勧請したのが始まりと伝えられています。

当初は許部の里(現在の浜松市小沢渡町)に鎮座し、延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に式内社として記載されている遠江国敷智郡六座の一座、許部神社とされます。天慶元年(938)、現在地に遷座した際、白狐が老婆に姿を変え「浜の松」を移植との伝承に起因して浜松の地名の由来になったと伝えられています。

古くから領主や為政者から崇敬庇護され永承6年(1051)には源義家が武運長久の祈願に訪れ「契りあれば 帰り来るまで 石清水 かけてぞ いはふ 浜松の里」の歌を詠むと社殿前の橋の袂に旗を立てたと伝えられています。永享4年(1432)には室町時代6代将軍足利義教が駿河国に下向した際、境内で酒宴を行い、浜松の音を颯々と歌った事から村人も「浜の松」を「颯々の松」と呼ぶようなったとされます。

元亀元年(1570)、徳川家康は居城を岡崎城(愛知県岡崎市)から浜松城に移した際、境内が城から見て北東に位置していた事から鬼門鎮守として領内鎮護の祈願を行っています。

元亀3年(1572)、三方原の戦いで武田信玄に敗れた家康は浜松八幡宮に逃げ込み御神木の楠の洞穴に身を隠し武田勢から逃れたことから、神意を感じ天正14年(1586)に駿府城へ移るまで祈願所とし、その後も例祭には代参を立て家康が死去するまで続けられました。(伝承では楠から瑞雲が立ち昇り、白馬が現れると家康を浜松城まで導いたと伝えられています)。

豊臣政権下では社領が没収され一時衰退しますが江戸時代に入ると幕府から庇護され社領50石が安堵されました。明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が廃され明治6年(1873)に郷社、明治40年(1907)に神饌幣帛料供進社に指定されています。

浜松八幡宮の御神木である「雲立の楠」は樹高約15m、幹周約13m、昭和27年(1952)に静岡県指定天然記念物に指定されています。主祭神:玉依比売命、品陀和気命(応神天皇) 、息長足姫命(神功皇后)。相殿神:伊弉諾尊、伊弉冉尊。例祭:8月15日。

【 参考:サイト 】
公式ホームページ
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-浜松市教育委員会

浜松八幡宮:写真

浜松八幡宮境内正面に設けられた鳥居と石燈籠
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浜松八幡宮石燈籠と参道の松並木 植栽の大木越を見える浜松八幡宮拝殿 浜松八幡宮の静寂で聖域を感じさせる参道 浜松八幡宮拝殿を正面から撮影した画像
浜松八幡宮透塀越に見える本殿 浜松八幡宮の御神木である「雲立の楠」 浜松八幡宮境内にある雲立の楠の根元を写した写真 浜松八幡宮参拝者の身を清める手水


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