中泉陣屋(磐田市)概要: 此の地は、奈良時代には遠江国の役所施設が設置された場所で、建物跡や木簡、墨書土器などが発見されています。中世に入ると府八幡宮の神官で、当地の土豪でもある秋鹿氏の居館が設けられ、天正6年(1578)に徳川家康の命により秋鹿氏の居館が遷され、改めて中泉御殿が整備されました。
天正18年(1590)、徳川家康の関東移封に伴い、堀尾義晴が当地域を支配下に収めると中泉御殿の一角に陣屋を構えています。江戸時代に入ると幕府の代官陣屋が設置され代々、代官が支配し、特に江戸初期の代官だった伊奈忠次は新田開発を奨励し当地域の発展に尽力しています。
中泉陣屋は北半分に陣屋の施設である書院や長屋、南側は鎮守社である稲荷宮の他は畑や池が設けられ、周囲は土塁と水路で囲んでいました。天保2年(1831)の火災や、安政の大地震で大きな被害を受けましたが、広域の天領行政を司る重要な施設だった為、その都度再建整備されています。
明治時代に入ると静岡藩の奉行所として一時使用されますが、その後廃され、表門が新島地区にある民家に、裏門が中泉寺に移築されました。
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-磐田市教育委員会文化財課
・ 現地案内板-防人の歌顕彰会
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