清雲寺(伊豆市)概要: 一楽山清雲寺は静岡県伊豆市土肥に境内を構えている日蓮宗の寺院です。清雲寺の創建は永禄7年(1564)、当時の領主富永政家(小田原北条氏康の家臣・高谷城主)が父親である富永政辰の菩提を弔う為、開いたのが始まりと伝えられています。
富永氏は三河国設楽郡発祥の御家人とされ、応仁の乱(1467〜1477年)後に伊豆土肥に移り住み本貫としました。明応2年(1493)に北条早雲が侵攻すると、富永政直は恭順し大永4年(1524)には江戸城の城代に抜擢されています。富永康景(直勝・政辰)の代には周辺1千3百83貫、五家老の一人となり江戸衆を率いる重臣となっています。
康景(直勝・政辰)は永禄7年(1564)国府台の戦いで討死、跡を継いだ富永政家が菩提を弔う為に清雲寺を創建、父親と同様に五家老に抜擢され北条水軍を率いる立場となりました。
天正18年(1590)の小田原の役では家臣が守ったとされる韮山城は落城、自身が籠った山中城も落城、小田原城に退いたものの北条家が降伏した事で小田原城は開城となっています。これにより富永家の大名家としては没落し、長子は徳川家旗本、次男は結城家の家臣として存続しました。慶長12年(1607)没、戒名「常泉院殿日圓大居士」菩提寺である清雲寺に墓碑が建立されています。
その後、清雲寺の寺運が隆盛し、当時の西伊豆日蓮宗寺院の中心的な役割を果たしました。元禄16年(1703)、火災により多くの堂宇が焼失し、現在の本堂は天保3年(1832)に酒井多次郎、藤原政房が手掛け完成したもので内部には明治23年(1890)に奉納された日蓮上人一代記板絵額90枚(日蓮聖人一代記の概要をわかりやすく描いたもの。歌川国秀作)が掲げられています。
日蓮上人一代記板絵額90枚は貴重な事から昭和59年(1984)に伊豆市指定有形文化財に指定されています。
清雲寺総門(黒門)は切妻、桟瓦葺き、一間一戸、高麗門。山門(赤門)は寄棟、茅葺、三間三戸、八脚楼門、上層部高欄、花頭窓付、木部朱塗り。清雲寺本堂は木造平屋建て、入母屋、桟瓦葺き、平入、桁行6間、正面1間唐破風向拝付き、外壁は真壁造白漆喰仕上げ、向拝細部には精緻な彫刻が施されています。山号:一楽山。宗派:日蓮宗。
【 参考:サイト 】
・ 公式ホームページ
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-伊豆市教育委員会
|
|