伊豆の国市: 広瀬神社

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概要・歴史・観光・見所

広瀬神社(伊豆の国市)概要: 広瀬神社は静岡県伊豆の国市田京に鎮座している神社です。広瀬神社の創建は奈良時代の天平5年(733)に伊予国から勧請されたのが始まりと伝えられています。

一方、三嶋大社に伝わる社伝によれば、三嶋大社の御霊は元々三宅島(現在の富賀神社?)に鎮座していましたが下田の白浜海岸(現在の伊古奈比当ス神社?)に上陸した後、広瀬神社の境内に遷座し、後に現在の三島の地に移ったとされます。

ただし、当地が狩野川に隣接し広い川瀬だった事が推察される為、元々川神や水神を祭る社として創建された思われます。当時は社運が隆盛し、延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳では式内社(広瀬神社又は軽野神社)として記載され、康平年間(1058〜1065年)に編纂された伊豆国神階帳では従一位に列しています。

歴代の領主からも崇敬され、源頼朝や北条時政などから多くの社宝や社領が寄進、田中郷5ヶ村の総鎮守としても広く信仰され最盛期には禰宜36人、供僧6坊を擁し社領は8町8反大50歩永80貫文を領し、社殿には金銀をちりばめた豪勢な建物だったそうです。

天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原の役の際、韮山城にも戦禍が広がりその兵火により多くの社殿、社宝、記録などが焼失し社領も認められなかった事で一時衰退します。

その後、慶長元年(1596年)に再興され、寛永10年(1633)、寛文9年(1669)、亨保4年(1719)、明和9年(1772)に社殿の改修が行われています。

古くから神仏習合し江戸時代には福沢大明神や深沢明神と称しいましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が廃され明治6年(1873)に郷社、明治31年(1898)に県社に列し、社号も深沢神社を経て明治28年(1895)に旧社号である広瀬神社に復しています。

広瀬神社の神域は神聖視された為、古木巨木が多く名称「広瀬神社の社」として伊豆の国市指定天然記念物に指定されています。例祭で奉納される「式三番」は古式を伝える行事として貴重な事から伊豆の国市指定無形民俗文化財に指定されています。祭神:三島溝杙姫命、他2神。

【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-伊豆の国市教育委員会
・ 現地案内板

広瀬神社:写真

広瀬神社境内正面に設けられた石燈籠と石造社号標と石造狛犬
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広瀬神社参道に設けられた石造神橋 広瀬神社神橋の下を流れる清流 広瀬神社参拝者の身を浄める手水舎と手水鉢 広瀬神社参道石畳の先に見える石鳥居
広瀬神社拝殿を右斜め正面から撮影した写真 広瀬神社石造玉垣越に見える幣殿と本殿 広瀬神社境内に鎮座している境内社 広瀬神社御神木


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