小山町: 東口本宮冨士浅間神社

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概要・歴史・観光・見所
東口本宮冨士浅間神社(小山町)概要: 東口本宮冨士浅間神社は静岡県駿東郡小山町須走に鎮座している神社です。東口本宮冨士浅間神社の創建は延暦21年(802)、富士山の大噴火により周囲が混乱に陥り、当時の国司郡司が住民達の安寧と噴火鎮護を祈願する為斎場を設け鎮火祭を行ったのが始まりと伝えられています。その後、噴火が治まったことから感謝を込め大同2年(807)に社殿を造営しています。以来、富士山登山口を司る浅間五社の1つに数えられ全国に鎮座する浅間神社の大社の1つとして信仰を広めました。特に門前町である須走村は駿河国(静岡県)と甲斐国(山梨県)を結ぶ街道の宿場町でもあった為に多くの往来者があり、江戸時代中期以降には富士山信仰が民衆に浸透した事もあり登拝者、参拝者が多数訪れ社運も隆盛しています。

歴代領主や為政者にも崇敬され社領の寄進や社殿の造営などが行われ、特に江戸時代には小田原藩(藩庁:小田原城)の庇護の下に御師活動が奨励され富士山信仰布教を活発化しています。古くから神仏習合していましたが明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏教色が一掃され、明治4年(1871)に村社、明治19年(1886)に県社に列しました。又、境内には江戸時代中期以降に盛んになった富士講の名残である石碑や、石灯籠が数多く見られます。祭神:木花咲耶姫命、大己貴命、彦火火出見命。

現在の東口本宮冨士浅間神社社殿は寛文2年(1662)、沼津城主大久保氏、小田原藩主稲葉氏などが修築したものを、宝永4年(1707)の富士山の噴火の火山灰により一度埋没し、享保18年(1718)に再建したもので権現造(本殿、拝殿、石の間が一体になっている社殿形式)、拝殿は入母屋銅板葺、平入、正面千鳥破風、銅板葺、外壁は朱色仕上げ、桁行6間、正面1間向拝付、本殿は三間社流造、銅板葺、外壁は朱色仕上げ、江戸時代中期の社殿建築の遺構として貴重な事から平成18年(2006)に小山町指定文化財に指定されています。楼門(随神門・神社山門)も社殿と同様に富士山の噴火で大破し明和4年(1767)に小田原藩5代藩主大久保忠由によって再建されたもので、入母屋、銅板葺、三間一戸、楼門形式、外壁は朱色仕上げ櫛岩窓神と豊岩窓神が随神として安置されています。

東口本宮冨士浅間神社境内にあるハルニレは推定樹齢約500年、樹高24.5m、根廻り6.0m、目通り幹周4.0m、枝張り:東西28.1m、南北25.5m、ハルニレとしては静岡県最大の巨木で昭和38年(1963)に静岡県指定天然記念物に指定されています。エゾヤマザクラは推定樹齢110年、樹高8m、見通り幹周1.75m、根回り幹周2.08m、昭和58年(1983)に小山町指定天然記念物に指定されています。根上がりモミは推定樹齢300年、樹高27m、見通り幹周3.07m、根回り幹周4.61m、平成3年(1991)に小山町指定天然記念物に指定されています。平成25年(2013)に東口本宮冨士浅間神社の境内一帯は「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産の一つとしてユネスコの世界遺産に登録されています。

【 参考:サイト 】
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
公式ホームページ

東口本宮冨士浅間神社:写真

東口本宮冨士浅間神社神橋と石造社号標
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東口本宮冨士浅間神社石造鳥居と「不二山」の扁額 東口本宮冨士浅間神社石段から見上げた随身門(楼門:神社山門) 東口本宮冨士浅間神社 東口本宮冨士浅間神社 東口本宮冨士浅間神社
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