杉桙別命神社(来宮神社)概要: 杉桙別命神社は静岡県賀茂郡河津町田中宮ノ脇に鎮座している神社です。杉桙別命神社の創建は不詳ですが、隣接して古代の生活した跡などが発見され中には祭祀で使用していたと思われる土器が発見されていることから、古代の祭祀場から発展した神社とも考えられています。社伝によると、和銅年間(708〜715年)に社殿を再建したことになっていることからも相当古くから信仰されていました。延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳で記載されている式内社にも比定され、康永2年(1343)に編纂された伊豆国神階帳では従四位上に列しています。
大見十六村(川津十七村)の惣鎮守として歴代の領主や為政者からも崇敬され建久4年(1193)には源頼朝が社領93石を安堵し社殿を再建、嘉禄2年(1226)には藤原頼経が社殿を再築、永正10年(1513)には足利義植が社殿を再築しています。天正7年(1538)に火災により社殿が焼失し、天文13年(1544)には洪水により境内が壊滅状態となり社運が衰退しますが国守清水太郎左エ衛門、清水小太郎、伊奈備後守、浅原四郎左エ衛門等の尽力によって再建されています。古くから神仏習合し「来宮神社」や「木野宮大明神」と呼ばれてきましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が廃され、明治2年(1869)に旧社号である「杉桙別命神社」に復し、明治6年(1873)に郷社に列しています。
杉桙別命神社境内にある大クスは推定樹齢1000年以上、樹高約24m、幹周14m、河津郷七抱七楠の最後の1本、大変貴重な事から昭和11年(1936)に国指定天然記念物に指定されています。又、御神体は海の方角に安置すると船が進まなくなると云われていて天城山の方角に向けて安置しているとされ、主祭神である杉鉾別命が酔っ払い泥酔し、野火に巻かれ窮地に追い込まれた時、どこからともなく小鳥の大群がやってきて、水滴を落として命を助けた故事から12月17日から24日までの一週間は鳥精進・酒精進と称し酒や鶏肉、卵を摂取しないそうです。
杉桙別命神社拝殿は木造平屋建て、切妻、桟瓦葺き、平入、桁行6間、張間4間、正面1間向拝付き、外壁は真壁造板張り。本殿は嘉祥2年(1819)に造営されたもので、一間社流造、正面千鳥破風、銅板葺き、正面1間軒唐破風向拝付き、随所に精緻な彫刻が施されており、江戸時代後期の神社本殿建築の特徴が見られます。祭神:杉桙別命。合祀神:五十猛命、少彦名命。
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