横地城(菊川市)概要: 横地城は静岡県菊川市東横地に築城された城郭です。横地城の築城年は不詳ですが室町時代初期、横地氏によって築かれたのが始まりとされます。横地氏は源義家の庶子とされる横地太郎家長を祖として14代この地を支配した国人領主で保元の乱や源平の合戦で名声を得て鎌倉幕府の御家人となり、室町時代には遠江守や将軍の御供衆などを歴任しています。戦国時代に入ると遠江守護斯波氏に従い、文明8年(1476)、今川義忠が遠江に侵攻すると、当時の城主横地秀国は、勝間田修理亮と共に今川氏と対しました。
勝間田城、横地城共に落城し秀国も討死、しかし、今川義忠は岐路の途中、塩買坂で横地氏の残党により憤死しています。国人領主としての横地氏はこの時滅亡し横地城も廃城となり、武田氏を頼った秀国の子である元国も大名復帰には至らず、江戸時代は旗本として名を残しています。
横地城は標高100m余りの山頂部を利用した中世の山城で、主郭とされる東曲輪(東城)を中心に中曲輪(中城)、西曲輪(西城)と大きく3つの区画があり、それぞれ尾根に向かい小規模の郭が折り重なるように配され、要所には土塁、空堀、堀切などの防衛施設が設けられました。現在でもそれらの遺構を見る事が出来、大規模で完成度の高い中世の山城として大変貴重なことから平成16年(2004)に国指定史跡に指定されています。
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