新居宿: 旅籠紀伊国屋

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新居宿(東海道)・旅籠紀伊国屋
【 東海道 】東海道は幕府が定めた五街道の1つで、江戸日本橋から京都三条大橋まで53の宿場町が設置されました。江戸と京都を最短距離で結ぶ為、当時の日本の大動脈として多くの人々が利用し、特に西国大名の参勤交代の経路として各宿場町は大いに賑わいました。ただし、街道の経路上には多くの河川が横切っている為、大雨や増水により川止めになる場合が多く日程的に不安定だったとされます。

【 新居宿 】−新居宿は東海道の宿場町として成立した町で、江戸日本橋から数えると31番目にあたります。浜名湖と遠州灘に囲われている地理的要因と浜名湖を横断する今切渡船の独占権を有していた事から東海道を利用する人や物資は新居宿を利用する必要性があり新居関所を設ける事で出入りが厳しく管理されました。新居関所は幕府が設置した関所の中でも最大規模で、特に武器の江戸方面の流入や、西国大名の正室や娘が自領に戻るのを厳しく取り締まりました。現在でも新居関所の施設の一部が現存し国指定特別史跡に指定されています。

【 旅籠紀伊国屋 】旅籠紀伊国屋静岡県湖西市新居町新居に位置する町屋建築(旅籠建築)で、明治7年(1874)の火事直後に建てられました。当主は代々疋田弥左衛門を世襲し、新居宿の本陣が疋田弥五助家が担っている事からも相当な名家だった事が窺えます。屋号である「紀伊国屋」は江戸時代に紀州藩(藩主:紀州徳川家)と関係が深かった事に起因し紀州藩の飛脚役所を担っていたそうです。基本的には幕府の許可が必要な旅籠を生業とし、主屋には12室、裏座敷には2室の宿泊室が配され新居宿の中では最大級の旅籠だったようです。湖西市指定文化財。

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