妙法華寺(三島市)概要: 経王山妙法華寺は静岡県三島市玉沢に境内を構えている日蓮宗の寺院です。妙法華寺は弘安7年(1284)、越後の武将(越後守)である風間信昭が弁阿閣梨日昭上人(日蓮上人の嫡弟、六老僧第一)を召還し鎌倉の海浜玉澤の地(現在の神奈川県鎌倉市材木座)に一宇(法華堂)を設けたのが創建とされます。その後、徳治元年(1306)に越後村田(現在の新潟県長岡市:妙法寺)に移り、文禄3年(1594)の日苞上人(14世)の代に伊豆加殿村(現在の静岡県伊豆市:妙国寺)に移っています。
元和7年(1621)、日産(15世)の代で現在地である大木沢に境内を移し日産、日達、日亮の3代により再興が図られ地名を創建時と同じく玉沢と命名されました。再興の際、外護者となったのが2代将軍徳川秀忠で寛永2年(1625)に朱印地約50万坪を寄進し養珠院(お万の方:徳川家康側室、紀州藩主徳川頼宣、水戸藩主徳川頼房の生母)や英勝院(お勝の方:徳川家康の側室、出生不詳、太田家再興に尽力)、太田道顕(太田道潅5代後裔)が尽力した事で広大な境内に本堂や五重塔など260余棟の堂塔が軒を連ねる大寺院となりました。
その後は掛川藩主太田家(太田道潅家)の菩提寺として庇護され、境内には太田家関係者の墓碑が建立されています。寛政3年(1791)の火災で多くの堂宇が焼失し、寛政5年(1793)に再建したものの最盛期には達していないとされます。又、境内が東海道に面し箱根峠を控えていた事から西国の大名が参勤交代で宿泊や休息で利用していました。
妙法華寺は寺宝も多く絹本著色日蓮上人像(日蓮上人の他、本尊、 壇具、 武家夫妻も同時に描かれている)、撰時抄(日蓮上人真筆本5巻)、注法華経開結共日蓮自注(叡山版法華経10巻に日蓮上人が注釈を加えたもの)、絹本著色十界勧請大曼荼羅図(法華経一切成仏思想を現した画像)は国指定重要文化財に指定されています。山号:経王山。宗派:日蓮宗。本尊:三宝尊。
妙法華寺の文化財
・ 絹本著色日蓮上人像−鎌倉時代末期−国指定重要文化財
・ 撰時抄(日蓮筆)−国指定重要文化財
・ 注法華経開結共日蓮自注−弘安5年−国指定重要文化財
・ 絹本著色十界勧請大曼荼羅図−鎌倉時代末期−国指定重要文化財
・ 金剛力士像(阿吽像一対)−鎌倉時代−湛慶作−三島市指定有形文化財
・ 妙法華寺庫裡−寛政5年−切妻、桟瓦葺、妻入−三島市指定有形文化財
・ 妙法華寺鐘楼-室町時代-入母屋,桟瓦葺,袴腰付-三島市指定有形文化財
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