掛川市大須賀町(歴史)概要: 大須賀町は古来より遠州灘の唯一の波除港として発展した港町でした。戦国時代には物資の輸送路として重要視され当時武田方の高天神城攻略の拠点として徳川家康の命により大須賀康高が横須賀城を築きました。高天神城が落城した後も引き続き康高が城主として当地を支配しますが天正18年(1590)、家康が関東に移封になると大須賀氏も随行し、代わって、豊臣方の大名が支配します。
慶長5年(1600)の関が原の戦い後は久留里から大須賀忠政が改めて6万石で入封し横須賀藩を立藩します。忠政は横須賀城を近代的な城郭へ大改修し、城下町の整備や検地など横須賀藩初期の基礎を固めます。忠政は徳川家康の重臣榊原康政の長男から大須賀家に養子に入った人物だったことから元和元年(1616)、榊原家が嗣子無くして死去すると2代忠次が榊原家を継ぐ事となり館林藩(群馬県館林市)に移封となります。
元和5年(1619)、松平重勝が関宿藩から2万6千石で入封しますが、2代重忠が元和7年(1621)、上山藩(山形県上山市)に移封となり井上正就が5万2千5百石で入封します。正保2年(1645)、正就が笠間藩(茨城県笠間市)に移封になると岡崎藩(愛知県岡崎市)から本多利長が5万石で入封、しかし、悪政を行った為、天和2年(1682)に改易となります。代わって西尾忠成が小諸藩(長野県小諸市)から2万5千石で入封し8代続き明治維新を迎えます。宝永4年(1707)の大震災により海岸線が2キロ海上よりになった事で、港が隆起し海上輸送の優位性は失われましたが、政治、行政面の中心地としてその後も発展しました。
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