油山寺:静岡県袋井市

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【 概 要 】油山寺静岡県袋井市)は奈良時代の大宝元年(701)に高僧として知られる行基菩薩により創建された寺院です。行基菩薩は、万民和楽・無病息災を祈念して一刀三礼(ひと彫りごとに三度礼拝する彫刻方法)で彫刻した薬師如来像を安置し、境内に流れ落ちる滝に油分が含まれていた事から「油山寺」と名付けたと伝えられています。その後、孝謙天皇(日本の第46代・第48代天皇)が重い眼病が発症した際、油山寺で平癒祈願が行われ、「るりの滝」で得た霊水を献上、その霊水で眼を洗浄したところ、不思議と全快しました。孝謙天皇は油山寺の霊験に大変感謝し勅願寺に定めると篤く庇護した為、信仰が広く知られるようになり大きく発展しました。鎌倉時代に入ると初代将軍源頼朝の帰依を受け、家臣である工藤裕経により本堂と三重塔が整備され、室町時代には駿河国・遠江国の2国の守護職を担った今川家が庇護し、今川義元が本堂内陣に収められている厨子宮殿を整備しました。戦国時代には今川家と武田家による兵乱の兵火により境内が荒廃し衰微しましたが、久野城の城主久野宗成の帰依を受け再興が図られています。江戸時代に入ると徳川将軍家や横須賀藩(藩庁:横須賀城)西尾氏、掛川藩(藩庁:掛川城)太田氏などから帰依の対象となり篤く庇護されました。三重塔(国指定重要文化財)は長命寺(滋賀県近江八幡市)と宝積寺(京都府乙訓郡大山崎町)と共に桃山時代竣工の日本三大名塔の一つに数えられています。山門(国指定重要文化財)は江戸時代前期の建築で、当初は掛川城の大手二之門として機能していましたが明治時代に入り、掛川城最後の城主となった太田氏から寄進を受け油山寺の山門として移されています。油山寺は法多山尊永寺(静岡県袋井市)、萬松山可睡斎(静岡県袋井市久能)と共に遠州三山に数えられています。又、眼病にご利益があるとして遠江四十九薬師38番、遠州八大不動番外札所に選定されています。

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