蒲原宿(静岡市)概要: 蒲原宿は慶長6年(1601)に開削された五街道の1つ東海道の宿場町で、江戸日本橋から数えて15番目にあたります。天保14年(1843)に編纂された「宿村大概帳」によると本陣1軒(平岡久兵衛家)、脇本陣3軒(木瓜屋・まきや・江戸屋)、旅籠42軒、問屋場1軒、家屋509軒の規模でした。当初は海沿いにありましたが元禄12年(1699)、台風による大波により多くの建物が大破し現在地である山沿いに宿場が移されました。蒲原宿は富士川の川止めの宿場でもあった為、当初は蒲原御殿が設けられ2代将軍徳川秀忠や3代家光が上洛の際の宿泊や休憩に利用していました。又、富士川舟運の川湊でもあった為、多くの物資が集められ廻船業の拠点としても発展しました。明治時代以降、交通網の発展により富士川舟運や廻船業が廃れ町としての発展は失われましたが、現在でも伝統的な町屋が点在し、東海道の宿場町としては比較的当時の雰囲気を残しています。特に旧五十嵐歯科医院、志田家住宅、和泉屋(旅籠)が国登録有形文化財に登録され、渡邊家土蔵が静岡市指定文化財が指定されています。
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