蒲原宿・下田港・焼津市花沢

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項     目 場  所 備  考
・蒲原宿 静岡市清水区 蒲原宿(静岡県静岡市清水区蒲原)は太平洋に面し富士川を控えている事から古くからの交通の要衝として重要視され、鎌倉時代には幕府により宿駅に指定されていました。江戸時代に入ると東海道が開削され、その宿場町に選定されました。宿場内には本陣や脇本陣、旅籠、問屋などの施設が設置され、東海道を利用すると多くの旅人や商人達の往来がありました。特に富士川が増水などで渡れなかった時は川止めの宿として賑わいました。当初は現在より海沿いにありましたが元禄12年(1699)8月15日に豪雨(台風?)により大波が発生し蒲原宿が大破し、元禄13年(1700)に現在地に移っています。現在でも静岡県内に残る東海道の宿場町の中では多くの町屋建築(静岡県)や、洋風建築が残り往時の町並みが維持されています。
・下田港 下田市 古くから太平洋での交通の要衝として重要視された所で戦国時代には小田原北条氏の小田原水軍の根拠地となっていました。天正18年(1590)の小田原征伐では豊臣秀吉方の武将加藤嘉明が淡路水軍を率いて襲来し約50日間攻防戦が繰り広げられました。その後、関東に移封になった徳川家康領となり、下田には家臣である戸田忠次が5千石で入封、江戸時代に入ると幕府の直轄領となり、下田町奉行所が設置されます。下田は海上交通の海の関所的な存在で、海運船で行き来する場合は一端下田で荷物改が行われた為、港も大いに賑わいました(東海道の三嶋宿からは下田街道が分岐していました)。幕末には外交の舞台にもなり、嘉永7年(1854)には了仙寺で日米和親条約が締結されると下田港は函館港の2つの港が開港、玉泉寺がアメリカの総領事館となりハリスが領事として就任しています。現在でも海鼠壁を用いいた土蔵造りの建物が点在し往時の町並みを垣間見ることが出来ます。
・焼津市花沢 焼津市花沢 花沢集落の発生起源は不詳ですが、奈良時代から平安時代中期にかけては東海道の街道筋だった事から、多くの旅人や物資の往来があり栄えていたのかも知れません。その後、東海道の道筋が変遷した為に山間の一集落として落ち着いたと思われます。記録的な初見は戦国時代の永禄12年(1569)に武田信玄書状写でその名前を見る事が出来ます。江戸時代に入ると概ね30〜40軒程の家屋が存在し200任前後の人口を擁していました。明治時代後期頃から御茶や蜜柑栽培で注視され、大きな生産量を誇るようになると、季節雇用人の部屋が増築され現在のような特異な平面構成する家屋が増えました。現在でも落ち着いた山村集落の景観が維持され国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
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