藤枝市: 田中城

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概要・歴史・観光・見所
田中城(藤枝市)概要: 田中城の築城年は不詳ですが室町時代、今川氏の家臣一色左衛門尉信茂が築いたのが始まりとされ、当初は徳之一色城と呼ばれていました。永禄13年(1570)、武田信玄が駿河に侵攻し、田中城は落城、当時の城主長谷川正長は徳川領に落ち延びています。信玄は馬場美濃守信春に命じて城を大改修し馬出曲輪を増築するなど駿河侵攻の拠点の1つとしています。その後、山県昌景が城主となり元亀3年(1572)には板垣信安が城主になっています。長篠の戦で武田氏が敗れると徳川家康は駿河に侵攻し天正3年(15876)から幾度となく田中城を襲撃、その都度撃退しましたが天正10年(1582)終に開城し、当時の城主武田信虎は自刃しています。慶長6年(1601)、酒井忠利が入封し田中藩を立藩、3重の堀だった田中城をさらに4重にするなど大改修が行われ、城下町も整備されました。

江戸時代初期から中期にかけて田中藩は次々と藩主が交代し慶長14年(1609)忠利が武蔵川越藩に移封になると廃藩となり駿府藩に組み込まれ、寛永10年(1633)に松平忠重が佐貫藩から3万石で入封後、寛永12年(1635)に掛川藩に移封、水野忠善が山川藩から4万5千石で入封後、寛永19年(1642)に吉田藩に移封、松平忠晴が2万5千石で入封後、寛永21年(1644)に掛川藩に移封、北条氏重が関宿藩から2万5千石で入封後、正保5年(1648)に掛川藩に移封、西尾忠昭が土浦藩(茨城県土浦市)から2万5千石で入封、延宝7年(1679)に2代西尾忠成が小諸藩(長野県小諸市)に移封、酒井忠能が4万石で入封後、天和元年(1681)に改易、天和2年(1682)に土屋政直が土浦藩(茨城県土浦市)から4万5千石で入封後、貞享元年(1684)に大坂城代として移封、太田資直が5万石で入封後、宝永2年(1705)に2代太田資晴が棚倉藩(福島県棚倉町)に移封、内藤弌信が5万石で入封後、正徳2年(1712)に大坂城代として移封、土岐頼殷が3万5千石で入封後、享保15年(1730)に2代土岐頼稔が大坂城代として移封、本多正矩が沼田藩(群馬県沼田市)から4万石で入封すると藩主が固定され本多家が7代続き明治維新を迎えています。

田中城の縄張り: 田中城は円形輪郭式縄張を持つ平城で、武田氏流城郭の特徴である丸馬出しと三日月堀を持つ特異の城として知られ、4重の堀に囲まれています。明治時代に廃城となると多くの建物破却され、城内も宅地化されましたが、現在も堀と土塁の一部が残り本丸に設けられたというく2層2階の物見櫓が田中城下屋敷に移築されています。

田中城:写真

田中城
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