新橋浅間神社(御殿場市)概要: 新橋浅間神社の創建は不詳ですが伝承によると応保元年(1162)、熊野衆徒の鈴木氏によって勧請されたとも、建久4年(1193)、源頼朝が富士の巻狩りの折、勧請されたとも云われています(境内には源頼朝が巻狩りの際、足をかけたと伝わる沓掛石があります)。
その後に神明・八幡神・天神・愛鷹大明神の4神が随時、勧請合祀され合計5神が祀られている事から五社浅間宮、又は、境内は御殿場口登山道の入口に位置していた事から「東表口参道宮」とも呼ばれました。
富士山信仰が盛んになるまでは小社で延宝8年(1680)に編纂された新橋村鏡差出長によると桁行2間3尺、梁間1間1尺、茅葺、境内は東西2丁(120間)、南北一丁六反(40間)、面積1.6ヘクタールだったとされ享保18年(1733)の記録では勘兵衛を名乗る百姓が鍵の管理をしていたと記載されています。
その後は組頭三郎左衛門が管理、随時境内社が勧請され境内には若宮八幡宮、浅間宮、日月宮、足高宮、山神宮、子神宮、山祗命社、地神社、山王大権現、風神社などが設けられました。明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が廃され明治5年(1872)に村社に列し、明治10年(1877)に境内社が合祀されています。
新橋浅間神社に伝わる神楽舞(獅子舞)、稚児舞は何れも富士山噴火の鎮護の為、奉納されたものでしたが、いつしか富士山修験者達が富士山登拝の際、奉納するようになり、現在も富士開山祭や秋の例祭に奉納されています。
社殿は比較的新しい建物ですが、拝殿、本殿、富士山山頂を直線で結ぶように計画的に配置され、参道の直線上には海上を経て小笠原諸島に至るそうです。
境内からは地下85mの水脈から自噴する湧水があり祭神である木花咲耶姫命に因み「木の花名水」と呼ばれ近隣の住民からは飲料水として利用されています。祭神は木花咲耶姫命。合祀祭神:瓊瓊杵尊、天照大神、誉田別命、菅原大神。
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