旧植松家住宅(富士市)概要: 植松家は文治2年(1186)に当地方を開発に貢献して以来、代々樋代官に命じられ用水路や水源管理をおおなってきた家柄で、一般的な中級農家住宅とは異なる格式をもっています。
戦国時代には今川家、武田家、徳川家とその時々の領主に従い樋役を担い、天正10年(1582)の武田攻めでは徳川家家臣の井伊直政の軍に参陣し道案内などで功を挙げ、13代目当主植松泰清の長男次大夫が小泉の姓を賜り750石の家臣に取り上げられています。
その後、次大夫は幼少の頃から樋役を通じ土木や用水の技術を学んでいた事から幕府の用水奉行に抜擢され二ヶ領用水、六郷用水などの用水事業を完遂し川崎代官を担うようになっています。
現在の樋代官植松家住宅は江戸時代末期に建てられたもので、木造2階建、寄棟、桟瓦葺、平入、外壁は1階が真壁造り白漆喰仕上げ、腰壁は下見板張り縦押縁押え、2階は下見板張り縦押縁押え、当地方では珍しい屋根棟中央部に換気と採光用の越屋根が付いています。
旧樋代官植松家住宅は江戸時代末期の代官所建築の遺構として貴重な事から平成12年(2000)に富士市指定有形文化財に指定されています。又、身分の高い家柄しか認められない長屋門も建てられており、主屋と同様に富士市立博物館に移築保存されています。
長屋門を簡単に説明した動画
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-富士市教育委員会
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