府八幡宮(磐田市)概要: 府八幡宮は静岡県磐田市中泉に鎮座している神社です。府八幡宮の創建は天平年間(729〜748年)、当時の遠江国司桜井王(天武天皇の曽孫)が国府の守護神として勧請したのが始まりとされ、遠江国府が一時境内に設けられ、その後見附地区に移転されたとも云われています(上記から当初は国府八幡宮と呼ばれたとも。隣地には遠江国分寺がありました)。
府八幡宮は古くから格式が高く延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に記載されている式内社御祖神社、入見神社、須波若御子神社とする説もあります。歴代領主からも崇敬庇護され建武年間(1334〜1336年)に秋鹿左京亮朝治が神官に命じられ室町幕府足利家将軍家から社領として中泉郷が寄進されています。
その後、府八幡宮は駿河国、遠江国守護となった今川家、今川家が滅ぶと徳川家が庇護し社領の寄進が行われました。秋鹿直朝は今川家が滅んだ後は徳川家康に従い、天正18年(1590)に家康が関東に移封になると常陸国(現在の茨城県)に配されましたが、慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いの功により旧領である当地周辺の領地を賜り、府八幡宮の神職と共に中泉の代官職として250石が安堵されています(秋鹿氏は後に府八幡宮の神官を専任)。
2代将軍徳川秀忠は大鳥居を寄進し、秀忠の娘である東福門院は本殿を再建しています。府八幡宮は古くからは神仏習合し別当寺院として神宮寺が祭祀を司ってきましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が廃され神社として独立、明治6年(1873)に郷社、明治16年(1883)に県社に列しました。祭神:誉田別命(応仁天皇)、足仲彦命(仲衷天皇)、気長足姫命(神功皇后)。
府八幡宮の楼門は寛永12年(1635)に建立されたもので入母屋、こけら葺、三間一戸、桁行3間、張間2間、上層部高欄付、楼門形式で左右には随神(石間戸神・豊石間戸神)が安置され随神門(神社山門)と呼ばれています。江戸時代初期の楼門建築の遺構として貴重な事から昭和30年(1955)に静岡県指定文化財に指定されています。
本殿は元和3年(1617)に東福門院(2代将軍徳川秀忠の娘、後水尾天皇の皇后)により再建されたもので三間社流造、銅板葺、江戸時代初期の本殿建築の遺構として貴重な事から平成2年(1990)に磐田市指定文化財に指定されています。
府八幡宮拝殿は正徳4年(1714)に再建されたもので、木造平屋建て、入母屋、銅板葺、平入、正面千鳥破風、桁行6間、梁間4間、正面1間向拝付、外壁は真壁造板張り。本殿の附りとして幣殿(桁行3間、梁間4間)と共に平成17年(2005)に磐田市指定文化財に指定されています。
中門は寛永12年(1635)に建立され、文化年間(1804〜1818年)に再建されたもので、平唐門、一間一戸、銅板葺、桁行3.06m、高さ5.10m、江戸時代後期に建てられた神社山門建築の遺構として貴重な事から平成17年(2005)に磐田市指定文化財に指定されています。
府八幡宮の文化財
・ 楼門-寛永12年-入母屋,こけら葺,三間一戸,八脚楼門-静岡県指定文化財
・ 中門-文化年間-平唐門,一間一戸,銅板葺-磐田市指定文化財
・ 本殿(附:拝殿及び幣殿)-江戸-三間社流造,銅板葺-磐田市指定文化財
・ 瑞花鳳鸞八稜鏡-奈良時代-磐田市指定文化財
・ 僧形八幡像-平安時代-磐田市指定文化財
・ 女神像-平安時代-磐田市指定文化財
唐門を簡単に説明した動画
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