浜松藩

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浜松藩概要
浜松藩概要: 慶長5年(1600)、金山城(岐阜県可児市)から松平忠頼が5万石で入封し浜松藩を立藩します。慶長14年(1609)に松平家が改易になると水戸藩(茨城県水戸市)から水野重央が2万5千石で入封、元和5年(1619)に紀伊新宮藩に移封になると岩槻藩(埼玉県さいたま市岩槻区)から高力忠房が3万5千石で入封、寛永15年(1638)に島原藩(長崎県島原市)に移封になると岩村藩(岐阜県恵那市岩村町)から松平乗寿が3万6千石で入封、寛永21年(1644)に館林藩(群馬県館林市)に移封になると西尾藩(愛知県西尾市)から太田資宗が3万5千石で入封、延宝6年(1678)に2代太田資次が大坂城代として移封になると、青山宗俊が5万石で入封。元禄15年(1702)に3代青山忠重が亀山藩(京都府亀山市)に移封になると笠間藩(茨城県笠間市)から松平資俊が7万石で入封、享保14年(1729)に2代松平資訓が吉田藩(愛知県豊橋市)に移封になると松平信祝が7万石で入封、寛延2年(1749)に2代松平信復が吉田藩に移封になると松平資訓が入封、宝暦8年(1758)に宮津藩(京都府宮津市)に移封になると井上正経が6万石で入封、文化14年(1817)に3代井上正甫が棚倉藩(福島県棚倉町)に移封になると唐津藩(佐賀県唐津市)から水野忠邦が6万石で入封、弘化2年(1845)に2代水野忠精が山形藩(山形県山形市)に移封になると館林藩(群馬県館林市)から井上正春が6万石で入封し、以後、井上氏が藩主を歴任し明治維新を迎えています。
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浜松藩歴代藩主
 藩主名藩主年間石高備考
初代松平忠頼1601〜1609年5万石 
初代水野重央1609〜1619年3万5千石 
初代高力忠房1619〜1638年3万5千石 
初代松平乗寿1638〜1644年3万5千石 
初代太田資宗1644〜1671年3万5千石 
2代太田資次1671〜1678年3万2千石 
初代青山宗俊1678〜1679年5万石 
2代 青山忠雄1679〜1685年5万石 
3代青山忠重1685〜1702年5万石 
初代松平資俊1702〜1723年7万石 
2代松平資訓1723〜1729年7万石 
初代松平信祝1729〜1744年7万石 
2代松平信復1744〜1749年7万石 
初代松平資訓1749〜1752年7万石 
2代松平資昌1752〜1758年7万石 
初代井上正経1758〜1766年6万石 
2代井上正定1766〜1786年6万石 
3代井上正甫1786〜1817年6万石 
初代水野忠邦1817〜1845年7万石 
2代水野忠精1845年5万石 
初代井上正春1845〜1847年6万石 
2代井上正直1847〜1868年6万石 

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