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沼津藩概要: 慶長5年(1601)に大久保忠佐が2万石で配され沼津藩が立藩、慶長19年(1614)に忠佐が死去すると断絶となり沼津藩は一時廃藩となります。安永6年(1777)、大浜藩(愛知県碧南市羽根町)から水野忠友が2万石で入封すると改めて沼津藩を立藩します。忠友は田沼意次の側近として幕政に参画し、3万石に加増され老中にも抜擢され、2代水野忠成も引き続き老中に就任し5万石に加増されています。忠成は11代将軍徳川家斉に信任され大きな影響力を持ちましたが、忠成が死去すると、その後に老中となった水野忠邦から弾圧され3代忠義と4代忠武は過度の負担を強いられる事になりました。幕末には新政府側に組しましたが、徳川家達が駿府藩(静岡県静岡市)を立藩すると、沼津藩領も組み込まれ為、沼津藩は廃藩となり8代忠敬は菊間藩(千葉県市原市菊間)に移封されました。
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沼津藩歴代藩主
| 藩主名 | 藩主年間 | 石高 | 備考 |
初代 | 大久保忠佐 | 1601〜1613年 | 2万石 | |
初代 | 水野忠友 | 1777〜1802年 | 3万石 | |
2代 | 水野忠成 | 1802〜1834年 | 5万石 | |
3代 | 水野忠義 | 1834〜1842年 | 5万石 | |
4代 | 水野忠武 | 1842〜1844年 | 5万石 | |
5代 | 水野忠良 | 1844〜1858年 | 5万石 | |
6代 | 水野忠寛 | 1858〜1862年 | 5万石 | |
7代 | 水野忠誠 | 1862〜1866年 | 5万石 | |
8代 | 水野忠敬 | 1866〜1871年 | 5万石 | |
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沼津藩 |
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沼津藩城下町:名所・旧跡 |
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