黒田家住宅(菊川市)概要: 黒田家は足利氏の流れを汲む土豪で戦国時代 には今川氏の家臣として永禄年間(1558〜69)にこの地に土着しました。今川氏が滅ぶと徳川氏に従いますが高天神城が落城すると一時帰農します。江戸時代に入ると当地の領主本多家の代官を代々世襲し2千石程度が与えられています。屋敷は堀と土塁に囲まれた格式が高いもので、主屋をはじめ長屋門、米蔵、東蔵、稲荷社、金山神社、地神社などが建てられています。黒田家住宅の主屋は安政元年(1854)の大地震後に再建されたもので木造平屋建一部2階建、寄棟、桟瓦葺、4面庇付、桁行21.6m、梁間41.1m、式台付の玄関や玄関の間、客座敷(書院造)、仏間など格式が高い造りになっています。
黒田家長屋門は18世紀中頃に建てられたもので、寄棟、茅葺、桁行21m、梁間4.7m、外壁は白漆喰仕上げ、腰壁は下見板張り縦押縁押え。黒田家住宅は江戸時代後期に建てられた代官屋敷の遺構として大変貴重である事から昭和48年(1973)に主屋と長屋門が国指定重要文化財に、平成5年(1993)に宅地と付属舎である米蔵(江戸時代末期、木造平屋建、切妻、桟瓦葺、桁行9.1m、梁間4.6m)と東蔵(土蔵造2階建、切妻、桟瓦葺、桁行10.9m、梁間4.5m、附西蔵)が追加指定されています。
長屋門を簡単に説明した動画
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