菊川市(歴史)概要: 菊川市は古くから開けた地域で法明寺古墳(円墳:直径約36m、高さ約5.5m)や八幡古墳(円墳)、法然塚古墳(円墳)、鹿島古墳(円墳)、大徳寺古墳(前方後円墳:墳長63m、後円部径32m、高さ4m、幅2m)などが点在し当時から権力者階級が存在していました。奈良時代に入ると潮海寺や応声教院といった古刹が創建され仏教文化が入ってきました。中世に入ると、源義家の庶子横地太郎家長を祖とする横地氏が支配し、室町時代初期には横地城を築き有力国人領主として名を馳せます。
横地氏は遠江国の守護に斯波氏が就任するとそれに従った為、文明8年(1476)に今川氏の遠江侵攻で横地城は落城し横地氏も没落します。江戸時代に入ると旗本本多氏などが支配しその代官として黒田家が任ぜられ現在でも代官屋敷の遺構が残されています。明治時代に入ると国策で職を失った武士や大井川の川越人足などの職の斡旋や、外貨獲得の輸出品としてお茶が注目され「牧之原大茶園」を開発、「お茶の菊川」と呼ばれる程全国に知れ渡りました。
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