修善寺温泉(静岡県伊豆市)・歴史:概要 修善寺温泉の開湯は大同年間(806〜10)、弘法大師が桂川で病気がちの父親の体を洗う1人の少年を見つけ、その孝行を讃えると冷たい水だと難儀に思い独鈷を打ちつけ温泉を湧き出せたのが始まりと伝えられています。鎌倉幕府の創世時には権力闘争の舞台でもあり2代将軍源頼家は修禅寺に幽閉され温泉(筥湯)に入浴中に北条氏側の間者により暗殺されたとあります。叔父である源範頼も、修禅寺の支院の1つである信功院に幽閉され自殺しているなど源氏悲劇の地として縁の史跡が点在しています。戦国時代には北条早雲が修善寺温泉に湯治と称して伊豆の世情を調べ伊豆国奪取の足がかりを得ています。江戸時代中期頃から修善寺温泉の開発が進んだと見られ独鈷の湯、石湯、箱湯、稚児の湯などを外湯として周囲に宿泊施設が整備され,江戸時代後期に製作された諸国温泉功能鑑(温泉番付)には「豆州朱善寺湯」として東之方前頭に格付けされていました。明治時代に入り交通網が整備されると多くの文人墨客が利用し作品の舞台になったことから一躍脚光を浴びることになり湯治客が益々増えるようになりました。修善寺温泉は日本経済新聞にて連載されていた日本百名湯に選定され、温泉療法医がすすめる温泉として名湯百選にも選定されています。温泉街には修善寺の他、指月殿、日枝神社、源頼家の墓、十三士の墓など源氏縁の史跡が点在しています。
修善寺温泉の文芸作品
・ 尾崎紅葉−金色夜叉
・ 島崎藤村−伊豆の旅
・ 芥川龍之介−温泉だより・新曲修善寺
・ 泉鏡花−斧琴菊・奥の院にて・半島一奇抄
・ 夏目漱石−修善寺の大患
・ 川端康成−伊豆温泉記
・ 田山花袋−北伊豆・南伊豆
・ 岡本綺堂−修禅寺物語・春の修善寺・秋の修善寺
・ 井伏鱒二−修善寺の桂川
修善寺温泉の泉質: 単純泉、含芒硝石弱食塩泉、泉温62℃
修善寺温泉の効能: 神経痛、リューマチ、胃腸病など
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