指月殿(修善寺温泉)概要: 指月殿の創建は鎌倉時代初期、鎌倉幕府2代将軍源頼家の菩提を弔う為、 母親であった北条政子が建立したのが始まりと伝えられています。頼家は若年で将軍職に着き、幕府も成立後間もない事もあり、御家人内の権力争いに巻き込まれ、失脚同様に修禅寺に幽閉され元久元年(1204)享年23歳で祖父である北条時政(政子の父親)に暗殺されます。政子は冥福を祈り指月殿建立後には宋版大蔵経(多くが散逸し8巻のみが現存し放光般若波羅密経・巻第二十三だけが静岡県指定文化財に指定されています。)や釈迦三尊繍仏などを奉納しています。指月の名称の由来は禅宗の教義を表す言葉である不立文字を説く意味があり、月は悟りの境地、指は経典を指し示すと云われています。
指月殿正面に掲げられた扁額(本物は修禅寺が所有)は正安元年(1299)、修禅寺に幽閉された一山一寧の書と伝えられているものです。一山一寧は台州臨海県(現在の浙江省台州市臨海市)の出身の高僧で、元のフビライ・ハーンは日本遠征(元寇)に失敗した事で、今度は外交により日本を従属させようと画策しましたが、それも失敗に終わり、跡を継いだテムルが一山一寧を日本への朝貢督促の国使を命じ、正安元年(1299)に日本に派遣しました。しかし、当時の鎌倉幕府執権である北条貞時は、敵対していた元に対して不信感が強く、一山一寧を捕縛して修禅寺に一時幽閉、指月殿の扁額はこの時に制作したものと思われます(その後許され南禅寺3世に就任しています)。
指月殿本尊の釈迦如来座像は、鎌倉時代に製作されたもので杉材、寄木造、像高203cm(伊豆地方最大)、禅宗式、静岡県指定文化財に指定されています。仁王像は藤原時代に制作されたもので、当時は横瀬にあった修禅寺仁王門に安置されていたものを指月殿に移したものです。
指月殿の建物は鎌倉時代に建立された当地方最古の建物で、宝形造、銅板葺、桁行4間、梁間4間、当時の寺院建築の遺構として貴重な事から伊豆市指定文化財に指定されています。指月殿の境内には源頼家の墓碑と元禄16年(1703)頼家五百回忌に設けられた供養碑が建立されています。
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