法多山尊永寺(袋井市)概要: 尊永寺の創建は神亀2年(725)、聖武天皇 の勅願により行基菩薩(奈良時代の高僧)が開いたのが始まりと伝えられています。伝承によると行基菩薩は大悲観音応臨の聖地を求めて巡錫し法多山に差し掛かると観音菩薩の御告げにより、自ら観音菩薩像を彫り込み草庵を設けて安置したそうです。以来、寺運が隆盛し最盛期には60余の子院を擁し、白河、後白河天皇の時代には勅願寺として朝廷が定める官寺である定額寺の格式を得ています。歴代領主や為政者から庇護され、中世には駿河守護職である今川氏、戦国時代には豊臣秀吉から天正18年(1590)に205石の寺領を安堵されています。
江戸時代に入ると幕府が庇護し、寺領は歴代将軍家が205石を追認し、慶長7年(1602)には徳川家康から5万石の格式を得て、境内には12坊を擁する大寺院として大きな影響力を持ちました。13代将軍徳川家定の代以降は正月に国家安寧と五穀豊穣の祈願を行い、祈祷護符と共に「くし団子」を将軍家に献上するのが慣わしとなり、現在も火難、水難、災厄に御利益があるとして「法多山厄除だんご」を求める参拝者が多くあります。
江戸時代後期の火災により多くの堂宇が焼失し、明治維新後に12坊が廃絶し寺号も尊永寺に改めています。法多山尊永寺は医王山油山寺、萬松山可睡斎と共に遠州三山に数えられ初詣には静岡県有数の参拝客が訪れ厄難消除、家内安全などを祈願します。
宗派:古義真言宗高野山派。格式:高野山真言宗別格本山。本尊:聖観音(正観世音菩薩、厄除観世音、伝:行基菩薩作)。
現在の尊永寺山門は寛永17年(1640)に建てられたもので(伝承によると播磨国:現在の兵庫県から移築されたと伝えられています)、入母屋、こけら葺、三間一戸、八脚楼門、桁行7.27m、梁間4.24m、下層部には仁王像が安置、上層部には高欄、「法多山」の扁額が掲げられています。江戸時代初期に建てられた楼門建築の遺構として大変貴重なことから昭和29年(1954)に国指定重要文化財に指定されています。
尊永寺の寺宝である金銅五種鈴(三鈷鈴欠)は鎌倉時代に製作された密教儀式に用いる法具で銅鋳製、鍍金、平均高さ約26cm、当時の信仰を伝える貴重な遺構として昭和31年(1956)に国指定重要文化財に指定されています。
毎年1月7日に行われる法多山田遊祭は七段の舞(室町時時代から続けられる芸能)が奉納される古式を伝えるもので昭和35年(1960)に静岡県指定無形民俗文化財に指定されています。
黒門は宝永8年(1712)に学頭坊正法院の中門として建てられたもので切妻、檜皮葺、一間一戸、四脚門形式、江戸時代中期の寺院門建築の遺構として貴重な事から平成元年(1989)に袋井市指定文化財に指定されています。
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