本源寺(掛川市大須賀町)概要: 寂静山本源寺は静岡県掛川市西大渕に境内を構えている日蓮宗の寺院です。寛永5年(1628)、横須賀城の城主井上正就は嫡子正利の縁談のこじれから江戸城西の丸廊下で豊島信満に刺殺されました(当初、正利の正室には旗本の豊島信満が仲人となり大坂町奉行島田直時の娘を迎える事に決定していたが、大奥の春日の局の圧力により鳥居成次の娘と結婚した為、面目を失った信満が江戸城内で正就を斬り付け殺害した)。同年、跡を継いだ正利は父親の菩提を弔う為に一宇を設け、寛永8年(1631)に正利が帰依していた寂静院日賢上人(三州尾尻村長福寺住職)を召還して開山、正就の戒名「忠源院殿隆昌日操大居士」と日賢上人の寂静院に因み寂静山本源寺と名付けられました。
創建当初は横須賀城の鬼門鎮護の寺院にする為、城から北東(鬼門)に位置する坂下の谷に境内を構え竣工までに12年間掛かるほど壮大な堂宇が造営されましたが、寛永21年(1645)に正利が笠間藩(茨城県笠間市)に移封となりが岡崎藩(愛知県岡崎市)から本多利長が横須賀藩主に就任すると寛文2年(1661)に現在地に移されました。歴代藩主から庇護され黒印地や山林などが寄進され寺運も隆盛し元禄15年(1702)の日述(6世)の代には身延山久遠寺(山梨県身延町:日蓮宗の総本山)の直轄となっています。
本源寺山門は江戸時代中期に建てられた横須賀城の搦手門を移築したと伝えられる古建築物で切妻、桟瓦葺、一間一戸、薬医門、間口2.9m、奥行1.99m、旧大須賀町内では最古の山門で、横須賀城の数少ない遺構の1つとして貴重な事から昭和48年(1973)に掛川市(旧大須賀町)指定文化財に指定されています。又、境内に建立されている井上正就の墓碑(宝篋印塔:伊豆石製)も昭和48年(1973)に掛川市指定史跡に指定されています。山号:寂静山。宗派:日蓮宗。本尊:十界曼荼羅。
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