撰要寺(掛川市大須賀町)概要: 景江山撰要寺は静岡県掛川市山崎に境内を構えている浄土宗の寺院です。 撰要寺は天正9年(1581)、横須賀城初代城主大須賀康高が応声教院(中内田村:現在の菊川市)17世岌屋春阿上人を召還し創建されました。当時は入江が近く境内から太平洋が一望出来た景勝地だった事から山号を景江山、寺号は浄土宗の経典である「選択本願念仏集(建久9年:1198年、関白九条兼実の要請、法然が撰述した2巻16章の論文)」と「往生要集(寛和元年:985年、源信が多くの仏教の経典や論書などから選んだ文章を1部3巻にまとめた経典)」に因み撰要寺と名付けられました。天正12年(1684)、大須賀康高は寺領50石が寄進、以後、大須賀家の菩提寺と庇護され寺運も隆盛し10万石の格式を得て遠州一の寺格とされました。天正18年(1590)2代大須賀忠政は上総久留里に移封されますが、慶長6年(1601)再び横須賀城主となり撰要寺に寺領10石を寄進しています。
境内には大須賀康高、大須賀忠政の墓碑(高さ約4m)をはじめ小笠原家一族(五輪塔4基:天正・文禄・慶長・寛永時代)や本多利長一族(本多康重、本多康紀、本多忠利)などの合計45基の墓碑群があり昭和58年(1983)に静岡県指定史跡に指定されています。山門は横須賀城二ノ丸にあった不開門(特に城内で死者や罪人を送り出した事から不浄門と呼ばれた。)を明治に入り横須賀城が廃城になった際、移築してきたもので正保2年〜天和2年(1645〜1682年)建築、切妻、本瓦葺、三間一戸、数少ない横須賀城の遺構として貴重な事から昭和48年(1973)に掛川市指定文化財に指定されています。寺宝である絹本著色真人図は江戸時代後期、横須賀藩の絵師である大久保一丘が描いたもので、当時の洋風人物画として貴重な事から昭和52年(1982)に静岡県指定文化財に指定されています。山号:景江山。宗派:浄土宗。本尊:阿弥陀如来。
撰要寺の文化財
・ 絹本著色真人図(1幅)−江戸後期−大久保一丘作−静岡県指定文化財
・ 撰要寺墓塔群−須賀家、小笠原家・本多家・西尾家など−静岡県指定史跡
・ 撰要寺不開門−正保2年〜天和2年−掛川市指定文化財
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