伊豆市(歴史)概要: 平安時代に入ると伊豆国府の在庁官人の狩野氏や大見館の大見氏などが支配し、鎌倉時代には幕府の御家人となった狩野氏が伊豆一帯に大きな影響力を持つようになります。修善寺温泉にある修禅寺は鎌倉幕府の牢獄的な役割を持ち建久4年(1193)には源頼朝の弟の源範頼が、建仁3年(1203)には2代将軍源頼家がそれぞれ幽閉され、自害や暗殺により非業の死を迎えています。室間時代後期になる狩野氏は北条早雲と対立し、堀越公方の足利政知の嫡子足利茶々丸を匿い4年の間狩野城にて攻防戦が繰り広げられています。その後、伊豆は北条早雲により統一され、北条氏が滅ぶと豊臣家、徳川家と支配が変わり、江戸時代には天領となり韮崎代官所の支配となります。明治時代になり交通網が整備されると修善寺温泉に与謝野晶子や夏目漱石といった文人墨客が利用し多くの作品の舞台となったことから飛躍的に知名度が上がり温泉街としても大いに賑わいました。
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