伊豆の国市: 最明寺

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概要・歴史・観光・見所

最明寺(伊豆の国市)概要: 東光山最明寺は静岡県伊豆の国市長岡に境内を構えている日蓮宗の寺院です。最明寺の御堂最明寺は北条時頼の菩提寺の1つとして知られています。康元元年(1256)、北条時頼は重病(赤痢)を理由に鎌倉幕府5代執権を辞任し蘭渓道隆に師事すると法名「覚了房道崇」を授かり最明寺(神奈川県鎌倉市)を創建、「最明寺入道」と呼ばれるようになります。一介の僧として全国を巡錫したとされ、謡曲「鉢の木」で見られるような伝説を各地で残しますが弘長3年(1263)、最明寺北亭において享年37歳で死去、菩提は跡を継いだ北条時宗が蘭渓道隆を召還して最明寺を再興させた禅興寺に葬られました(禅興寺は明治時代に入り廃寺となった為、現在は禅興寺の院の1つ明月院が跡を継いでいます)。

その際、時頼から恩を受けた当地の住民が幕府から分骨の許可を得て臨済宗の寺院を創建し、時頼が後年呼ばれた「最明寺入道」に因み寺号が如意山最明寺に定められました。天正18年(1590)、小田原の役による兵火により多くの堂宇、寺宝、記録などが焼失し衰退しましたが慶長9年(1605)、日遠(日蓮宗総本山身延山久遠寺22世)が再興し寺号を如意山から東光山に改め、臨済宗から日蓮宗に改宗しました。

現在の最明寺本堂は昭和23年(1948)の火災で焼失後の昭和41年(1966)に再建したもので鉄筋コンクリート造となっています。境内には時頼の分骨が葬られていると伝えられている墓碑や、昭和52年(1977)に建立された萩原麦草(現在の伊豆長岡町出身、明治から昭和の俳人)の句碑「 最明寺 時頼よりの 時雨ふる 」があり共に伊豆の国市指定史跡に指定されています。

又、境内前に鎮座する若宮八幡社では時頼の持仏(金銅製、像高一寸八分)が御神体(本尊)として祀られています。山号:東光山。宗派:日蓮宗。本尊:十界勧請曼荼羅。

【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-伊豆の国市教育委員会
・ 現地案内板-伊豆の国市文化財委員会

最明寺:写真

最明寺境内正面に設けられた石段と山門
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最明寺山門から見た境内の様子 最明寺本堂を左斜め正面から撮影した画像 最明寺境内に建立されている萩原麦草の句碑 最明寺の境内に設けられた最明寺入道の墓碑


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