伊豆の国市(歴史)概要: 平安時代末期から江川家が土着し支配してきた地域です。室町時代中期には堀越御所が設けられ、室町幕府に抵抗した古河公方に対しての戦略的拠点となりました。館主は堀越公方と称し関東探題である渋川義鏡や上杉教朝が従いましたが、元々鎌倉公方として実績があり関東武士に対し地縁、血縁が濃い古河公方の優位性が動かず明応2年(1493)、最後の館主となった茶々丸が自害(諸説あり)したことで命運がつきました。その後、台頭した北条早雲が韮山城を本拠にして伊豆国を掌握し、小田原に移るまでは北条氏の居城として機能しています。
天正18年(1590)、豊臣秀吉による小田原の役において豊臣勢4万4千の軍勢により韮崎城が落城、その後は徳川方の周辺の拠点となりますが、関ヶ原の戦い後は天領となり韮山代官所が設置されます。代官は古くからの土豪であった江川氏が世襲し、36代当主江川英龍は洋学を学び韮山反射炉や海防の整備などに貢献があり38代当主英武は韮山県令に就任しています。
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