創建年− | 不詳 |
祭 神− | 大山祇命・積羽八重事代主神 |
格 式− | 式内社(名神大)・伊豆国一宮・伊豆国総社・旧官幣大社・別表神社 |
文化財− |
梅蒔絵手箱(化粧道具一式34点、鎌倉時代、北条政子の奉納、蒔絵工芸品、国宝)
太刀(銘:宗忠、鎌倉初期、刃長81.8cm、旧宮内省から寄進、国指定重要文化財)
脇差(銘:相模国住秋義伊豆三嶋大明神奉拝佐藤松千代貞成、南北朝時代、国指定重要文化財)
短刀(銘:三嶋大明神他人不与之 貞治三年藤原友行、国指定重要文化財)
紙本墨書般若心経(源頼家筆、建仁3年、病気平癒祈願、明治29年に再奉納、国指定重要文化財)
矢田部家文書(平安〜江戸時代、三嶋大社所蔵分155通、矢田部家所蔵分437通、国指定重要文化財)
本殿(慶応2年、三間社流造、銅瓦棒葺、国指定重要文化財)
幣殿(慶応2年、両下造、銅瓦棒葺、桁行3間、梁間1間、国指定重要文化財)
拝殿(慶応2年、入母屋、銅瓦棒葺、千鳥破風、桁行7間、梁間4間、軒唐破風向拝、国指定重要文化財)
三島神社のキンモクセイ(推定樹齢1200年、樹高10m以上、幹周約4m、2度咲き、国指定天然記念物)
日本書紀並びに具書(神代上・下巻、具書3巻など、応永35年奉納、静岡県指定文化財)
三嶋大社のお田打(毎年1月7日奉納、室町時代から続く予祝神事、静岡県指定無形民俗文化財)
舞殿(慶応2年、入母屋、銅瓦棒葺、妻入、中国の「二十四孝」を模した彫刻、三島市指定文化財)
神門(慶応3年、向唐門、銅瓦棒葺、一間一戸、総欅造、素木、三島市指定文化財)
三嶋大社社叢(境内一帯、「神社の森」、「鎮守の森」、三島市指定天然記念物)
三四呂人形(2躯、昭和初期、三島市出身の人形作家、野口三四呂作、三島市指定文化財)
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神 事− | 例祭:8月16日 |
場 所− | 静岡県三島市大宮町 |
備 考− | 三嶋大社が何時頃から祀らているのかは判りませんが、古くは太平洋の上に浮かぶ三宅島に境内を構えていたとされます。当初の祭り神である三嶋神は伊豆諸島を開発発展に尽力し、各島々には三嶋神の一族が祀られ篤く信仰されていたと思われます。格式も高く奈良時代から平安時代に成立した六国史の中で「日本後紀」、「日本文徳天皇実録」、「日本三代実録」、「類聚国史」には「三嶋神」が神階を得ていた事が記載され、平安時代に成立した延喜式神名帳には格式の高い名神大社として列記されました。延喜式神名帳に記載された三嶋神は三宅島時代と推定されている為、三嶋大社が現在地に創建されたのは平安時代中期から後期頃とされ、国事の祭祀を司るのに容易にする為に伊豆国の国府の近くに勧請されと思われます(記録上、現在に鎮座している事が確認されるのは「吾妻鏡」の治承4年:1180年)。鎌倉時代に入ると、初代将軍に就任した源頼朝は伊豆に配流されていた期間が多く源氏再興の祈願を行い見事念願成就した事から崇敬が篤く、広大な社領や社宝が奉納され伊豆国では最高位にあたる為、伊豆国一宮、伊豆国総社として正一位に列しました。その後は特に武家から庇護され、室町幕府や鎌倉公方歴代領主も社領を追認に社殿の造営や修繕が随時行われ、戦国時代には小田原北条氏からも庇護を受けています。江戸時代に入ると、三嶋大社の境内の直前に東海道が通過した為、東海道を参勤交代で利用する諸大名や旅人、商人達が参拝に訪れ社運も隆盛し江戸幕府も社領530石を安堵しています。明治時代に入って官幣大社に列しています。 |