伊豆山神社(熱海市)概要: 伊豆山神社は静岡県熱海市伊豆山上野地に鎮座している神社です。伊豆山神社の創建は不詳ですが孝昭天皇の御代(紀元前475年〜紀元前393年)に勧請されたものが始まりと伝えられています。
当初は日金山に鎮座していましたがその後、本宮山に遷座し承和3年(836)に賢安と称する僧により現在地に遷されとされます。文武天皇3年(699)には役小角が修行の為に当社を訪れ、麓にある「走り湯」を発見、又、弘法大師空海が修行に訪れたなどの伝承が残っており当時から修行霊場だった事が窺えます。
治承年間(1177〜1180年)に後白河法皇によって編纂された「梁塵秘抄」では日本で有数の霊場として「伊豆の走湯(伊豆山神社:静岡県熱海市)」、「信濃の戸穏(戸隠神社:長野県長野市)」、「駿河の富士山(富士山本宮浅間大社:静岡県富士宮市)」、「伯耆の大山(大神山神社:鳥取県大山町)」を挙げています。
歴代朝廷からも崇敬され特に仁徳天皇、清寧天皇、敏達天皇、推古天皇、孝徳天皇、後奈良天皇は祈願所として篤く庇護したと伝えられています。
平冶の乱後、伊豆に流された源頼朝は伊豆山神社で源氏再興を祈願、境内は北条政子との逢瀬の場であったり、麓の「走り湯」で英気を養ったなど伝承も多く、鎌倉幕府開府後は伊豆山神社を関八州の鎮護社と定め社領4里4方を寄進したとされ、室町時代には武州、相州、上州、豆州、駿州、越州に23ヶ所の社領を有していました。
戦国時代には領主である北条氏から篤く庇護されていた関係で、天正18年(1590)に豊臣秀吉が小田原城(神奈川県小田原市)へ侵攻すると伊豆山神社も攻撃目標となり多くの社殿、堂宇、社宝、記録などが焼失し社領も没収され一時衰退しましたが文禄3年(1594)に徳川家康が再興、江戸時代も引き続き幕府が庇護し社領300石が安堵されました。
古くから神仏習合し伊豆山三所権現又は走湯山般若院などとよばれていましたが明治時代初頭に発令された神仏分離令とその後の廃仏毀釈運動により仏式が廃され、神式を継承する伊豆山神社と仏式を継承する走湯山般若院とに分離しました。
伊豆山神社拝殿は入母屋、銅本瓦棒葺き、平入、桁行5間、張間3間、正面3間軒唐破風向拝付き。本殿は流造、銅瓦棒葺き。祭神:天忍穂耳尊、拷幡千千姫尊、瓊瓊杵尊。社格:国幣小社、別表神社。
伊豆山神社の文化財
・ 木造男神像-平安後期-高さ212p,桂材,一木造-国重文
・ 剣(無銘)-平安時代-身長53.3p-国指定重要文化財
・ 紺紙金泥般若心経(後奈良天皇宸翰):伊豆国-室町-国重文
・ 銅造走湯権現立像-南北朝時代-静岡県指定文化財
・ 伊豆山経塚遺物-平安時代-静岡県指定文化財
・ 紺紙金銀字交書仏説無所(望経)-静岡県指定文化財
・ 木造男神像・女神像-南北朝時代-熱海市指定文化財
・ 木造狛犬(1対)-熱海市指定文化財
・ 木造役行者倚像-熱海市指定文化財
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