熱海温泉概要: 熱海温泉の開湯は不詳ですが伊豆国風土記で少彦名命が遣わされた神の湯とは熱海温泉のこととされ、古くから霊験あらたかた霊湯として知られていたと思われます。仁賢天皇4年(491)、蚊島穂台君を海中に菩提を葬ると、そこから熱水が噴出し多くの魚介類が死滅したことが地名「熱海」の由来とされ、海中から源泉が噴出していたことがわかります。又、天平勝宝元年(749)、ある子供の夢枕に少彦名神が立ち、源泉の場所と効能を告げたとも、天平宝字年間(757〜765年)万巻上人が海中の源泉を大湯に移したとも云われています。
江戸時代に入ると熱海温泉は飛躍的に発展し慶長9年(1604)には徳川家康が徳川義直(家康の9男、尾張徳川家の始祖)、徳川頼宣(家康の10男、紀州徳川家の始祖)と共に湯治に訪れており、寛永3年(1626)には3代将軍徳川家光が湯殿を設けています(実際には利用されていない。)。4代将軍徳川家綱以降は歴代将軍家の御湯汲みとして整備され、熱海温泉の源泉を江戸城まで運び、湯沸して将軍が利用しました。特に8代将軍徳川吉宗は熱海温泉や草津温泉(群馬県草津町)の御湯汲みを数多く行っています。
大名家も前田家(加賀藩主)や島津家(薩摩藩主)、南部家(盛岡藩主)、伊達家(仙台藩主)などが利用し、久留米藩主有馬家は熱海温泉の湯神である湯前神社に石燈籠や石鳥居などを寄進しています。明治時代に入ると熱海温泉は東京に近いこともあり政治家や政府高官などが湯治や静養に訪れ、明治17年(1884)には吸気館(温泉療養施設)が開設、昭和25年(1950)には伊東温泉(静岡県伊東市)、熱海温泉、別府温泉(大分県別府市)が国際観光文化都市に定められたことにより日本三大温泉場と呼ばれるようになり温泉街も次第に大きくなりました。又、熱海温泉には文人墨客も数多く訪れ、作品の題材にもなり、尾崎紅葉の小説「金色夜叉」により広く知られるようになりました。
熱海温泉の泉質−弱食塩泉・含石膏弱食塩泉(約61℃)
熱海温泉の効能-リューマチ・神経痛・皮膚病・創傷・婦人病・通風・火傷など
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