旧稲垣家住宅(富士市)概要: 稲垣家住宅は文化元年(1804)に建てられたもので、兜造(片側は切妻風、もう片側は入母屋風)、茅葺。当初は寄棟の屋根だったと思われますが、明治時代中期に屋根裏を改造し養蚕業を営んだ事で、部屋に通風や採光を取り入れる必要があり、両端の屋根を切り落としたことで現在のような独特な屋根形状となったと推定されています。
建築規模も建築面積165.22uと富士市内最大級で、屋根裏部屋に暖気が入るように1階の天井を一部格子状にするなど養蚕農家建築として随所に工夫が見られます。
内部は向って右側1/3が「にわ」と呼ばれる土間で空間で流しや竈などが設置され主に作業場として利用されていたようで、土間に沿って、板の間の「ひろま(接客用の居間、囲炉裏付)」、「こたつのま(家人用の居間囲炉裏付)」、「あがりはな(囲炉裏付)」があり仕切りが無く、土間とは一体的に利用されまた。
板の間の左側には畳8帖の「おくのま(接客用座敷、床の間付)」、畳6帖の「なかのま」、板の間の「なんど」が配されていました。
旧稲垣家住宅は江戸時代後期に建てられた大型農家家建築の遺構で建築年が明確など資料的価値高い事から平成21年(2009)に静岡県指定有形文化財に指定されています。当初は大渕集落にありましたが、平成18年(2006)に当家から寄贈を受け現在地である「広見公園ふるさと村」に移築保存される事になり一般公開されています。
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-富士市教育委員会
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