実相寺(富士市)概要: 岩本山実相寺は静岡県富士市岩本に境内を構えています。実相寺の創建は久安元年(1145)、鳥羽法皇の勅命により比叡山延暦寺(滋賀県大津市坂本)の智印上人が三間四方の御堂を造営、如意輪観音を安置して開山したのが始まりと伝えられています。
古くから天台宗の名刹として知られ、智證大師円珍が唐から持ち帰った一切経2部を三井寺(滋賀県大津市)と分け合うと、天台宗の学問場として整備され、最盛期には境内に七堂伽藍が造営され、49院500坊を擁する大寺院に発展しました。
正嘉2年(1258)から正元2年(1260)には日蓮上人が一切経を学ぶ為、当寺を訪れており、「立正 安国論」の執筆に繋がったとされています。
その際、日蓮と多くの学僧侶が交流を重ねた結果、日蓮に感化される僧侶が続出し、中でも学頭・智海法印は建治2年(1276)には名を日源に改め日蓮宗に改宗、正和元年(1315)には実相寺全山、日蓮宗の寺院に改めています。
室町時代に入ると、駿河国、遠江国の2ヶ国の守護職を担った今川家の庇護となり寺領の安堵が行われています。永禄3年(1560)、今川義元が桶狭間の戦いで織田信長に敗れると急速に衰退し永禄11年(1568)、武田信玄の駿河侵攻を受け、その兵火により一山ことごとく焼失、破壊され多くの僧侶も惨殺されたと伝えられています。
今川家滅亡後、新たに領主となった武田信玄は元亀3年(1572)、寺領300緡を安堵し再興が図られますが、往時には及ばず、江戸時代に入りようやく再興しています。江戸時代には徳川将軍家から庇護され、寛永18年(1641)には3代将軍徳川家光から寺領6石1斗8升が安堵されています。宗派:日蓮宗。本尊:十界曼荼羅。
実相寺木造仁王像は江戸時代初期に製作されたと推定され、像高2.41m、桧材、漆仕上(肌朱黒、衣黒、天衣金)、阿像金剛杵、吽像徒手、昭和47年(1972)に名所「実相寺木造仁王像」として富士市指定有形文化財に指定されています。
実相寺一切経蔵は土蔵造り平屋建、入母屋、妻入、銅板葺き、正面1間向拝付、内部には宋版一切経4巻・天海版一切経6174巻1432経が収蔵、七福神(小沢半兵衛作、クスノキ材、一木造、縦57cm、横276cm)が安置され何れも富士市指定文化財に指定されています。
実相寺山門は江戸時代初期に造営されたもので、入母屋、銅板葺、三間一戸、八脚楼門、上層部には花頭窓、高欄付、下層部には仁王像(金剛力士像:富士市指定文化財)が安置されています。
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