磐田市: 淡海国玉神社

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概要・歴史・観光・見所

淡海国玉神社(磐田市)概要:  淡海国玉神社は静岡県磐田市見付に鎮座している神社です。淡海国玉神社の創建は不詳ですが延喜元年(901)に編纂された三代実録では貞観7年(865)5月8日に従五位下に列したことが記されています。

延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に記載された式内社淡海國玉神社にも比定され古くから格式の高い神社で、同じく式内社とされる矢奈比賣神社天御子神社と共に見付三社に数えられました。

当初は岩井原に鎮座していましたが何時の頃か遠州国の国府に近い現在地に遷座し遠州国の総社になったとされ国事の祭事が執り行われたと思われます。

遠江国府の正式な場所は不詳で、磐田北小学校校庭付近説と御殿・二之宮遺跡の2説が有力ですが、淡海国玉神社の由緒を信じれば磐田北小学校校庭付近説の方が有力という事になります(鹿苑神社の由緒を信じれば御殿・二之宮遺跡説の方が有力)。

明治時代初頭に発令された神仏分離令を経て明治5年(1872)に県社に列し、明治8年(1875)には境内に旧見付学校(日本最古の洋風木造小学校舎、国指定史跡)が建設されています。

現在の淡海国玉神社本殿は明暦年間(1655〜1657年)に再建されたもので、三間社流造、桧皮葺、桁行5m、梁間5.14m、3間向拝付、江戸時代初期の神社本殿建築の遺構として貴重な事から明治25年(1892)・明治41年(1908)・明治42年(1909)・昭和34年(1959)・昭和55年(1980)の軒札(5枚)と共に平成27年(2015)に静岡県指定文化財(建造物)に指定されています。

淡海国玉神社拝殿、幣殿は文久年間(1861〜1863年)に宮大工立川昌敬によって再建されたもので拝殿は、入母屋、銅板葺、平入、桁行10m(5間)、梁間6.36m(3間)、正面1間向拝付、外壁は真壁造り黒漆喰仕上げ。幣殿は入母屋、銅板葺、桁行4.54m、梁間4.54m。淡海国玉神社社殿は江戸時代後期の社殿建築の遺構として貴重な事から平成28年(2016)に磐田市指定文化財(建造物)に指定されています。

神門(神社山門)は切妻、桟瓦葺、一間一戸、四脚門。見付天神社(矢奈比売神社)と合祭で行われる「見付天神裸祭」は古式を伝える行事として大変貴重な事から平成12年(2000)に国指定重要無形民俗文化財に指定されています。

淡海国玉神社の祭神は大国主命(淡海国玉神や磐田明神とする説もあります)。合祀:速玉之男命、事解之男命、伊邪那岐命、御間城入彦五十瓊殖天皇、大山咋神、宇迦之御魂命、天照大神、豊受大神、赤鬚神、須佐之男命、迦具土命、大己貴命。飛地境内神社として式内天御子神社と雷三神社があります。

【 参考:サイト 】
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-磐田市教育委員会文化財課
・ 現地案内板(社記)-淡海国玉神社

淡海国玉神社:写真

淡海国玉神社境内正面に設けられた石鳥居と石造社号標
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淡海国玉神社参道に設けられた神門 淡海国玉神社拝殿とその前に置かれた石造狛犬 淡海国玉神社拝殿を右斜め正面から撮影した写真 淡海国玉神社社殿全体を左斜め正面から撮影した画像
淡海国玉神社透塀越に写した歴史が感じられる本殿 淡海国玉神社拝殿向拝に施された精緻な彫刻 淡海国玉神社井戸を撮った写真 淡海国玉神社の参拝者の身を清める手水舎と手水鉢


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