下田八幡神社概要: 下田八幡神社の創建は不詳ですが鎌倉時代の正応年間(1288〜1293年)には既に 鎮座していたと伝えられています。裏山から発見された鰐口には「下田村若宮」と刻まれており、「若宮」には八幡宮本宮から迎えた新宮」の意味があり応永6年(1399)の刻銘があることから下田村が開村した時に氏神として勧請されたとも考えられます。社伝によると、永正4年(1507)に下田村の漁師が魚を採る為に網を投げると、1躯の木像がかかりましたが、意味も判らず海上に捨ててしまいました。
しかし、次の日も、又次の日も同じ事が続き、7日目には大漁の鯛と共に再び木像がかかった為、これは福の神と悟り家に持ち帰りました。すると、その夜、漁師の霊夢に木像の化身が立ち「私は八幡神の化身です。長く海の中に沈んでいましたが、訳あって海上に上がる事が出来ました。もし、私を祀ってくれるならば、土地の守護神として、長く守っていく事でしょう。」と継げて姿を消しました。
この話を村人達に話すと、神意と悟り、元々祀られていた牛頭天皇の傍に社を建立し木像を御神体として祀ったと伝えられています。その後は住民達に篤く祀られていましたが、朝比奈家が当地を支配して際に下田郷の総鎮守に定められ、以来、歴代領主からも崇敬庇護されるようになりました。
江戸時代は下田奉行今村伝四郎正長から崇敬され、毎年8月14・15日行われている例祭に奉納される太鼓は調べは正長が疲弊していた下田の住民を鼓舞する為、参陣した大阪夏の陣の時の陣太鼓の調べを取り入れ祭りを盛り上げたものと伝えられています。社殿は享和2年(1802)に火災により焼失、文化4年(1807)に再建、昭和58年(1983)に火災により焼失、昭和61年(1986)に再建されています。神門(神社山門)は入母屋、銅瓦棒葺、三間三戸、八脚単層門、境内の仁王堂には石造仁王像が安置され神仏習合時代の名残が見られます。祭神:誉田別命。配祀:牛頭天王。
【 参考:文献等 】
・ 下田八幡神社再建之碑
・ 現地案内板(下田八幡神社例大祭の太鼓について)-伊豆急行株式会社
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