下田市(歴史)概要: 下田市は古くから太平洋上の交通の要衝として知られ、天正16年(1588)には小田原北条氏が下田城を築き豊臣水軍の抑えとし家臣である清水康英を配しました。天正18年(1590)の小田原の役の際は豊臣水軍により取り囲まれ約2ヶ月後に落城しています。関東一円が徳川領になると下田には戸田忠次が5千石で配され、元和2年(1616)には今村伝四郎が下田奉行となり遠見番所も設置されています。今村氏は了仙寺の創建や武ヶ浜浪除の普請、水道木管の敷設などを行い現在の下田市の礎を築きました。
享保6年(1721)に浦賀に番所が移ったところから下田奉行が廃止となりますが、幕末に外国船の出現が多くなると重要視され天保13年(1842)に下田奉行が設置されます。嘉永7年(1854)に日米和親条約によって下田が開港となり宝福寺と稲田寺が仮下田奉行所として利用され了仙寺では日米和親条約付録下田条約13ヶ条が調印、長楽寺では日露和親条約9ヶ条が締結されました。安政3年(1856)には米国総領事館が設けられ駐日総領事としてハリスが赴任し安政4年(1857)には下田協約が締結され翌年には日米修好通商条約が結ばれました。
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