北山本門寺(富士宮市)概要: 北山本門寺の創建は永仁元年(1293)、身延山久遠寺(山梨県身延町)祖廟の輪番守塔であった日興が北山に檀林(学問所)を開いたのが始まりと伝えられています。永仁6年(1298)には重須郷の地頭石川孫三郎源能忠と上野郷の地頭南条七郎次郎平時光らの協力を得て御影堂、垂迹堂、根源堂が建立されました。その後も境内の整備や布教活動に尽力しいつしか日蓮宗の「七大本山」、「富士五山」、「興門八本山」などに数えられるようなり寺運が隆盛します。中世に入ると長く駿河国の領主として当地を支配した今川家から庇護され寺領の安堵や諸役の免除などが行われています。
しかし、永禄3年(1560)5月、桶狭間の戦いで織田信長に敗れ、当主である今川義元が討ち取られると、今川家が弱体化し永禄12年(1569)に武田信玄に駿河侵攻を許し、その兵火により多くの堂宇、寺宝、記録などが焼失し一時御影を沼津在静浦本能寺に移しています。
天正10年(1582)に武田家が滅びると徳川家康の庇護となり、天正18年(1590)に家康が関東に移封になると豊臣秀吉が庇護し随時、復興、再建が行われています。江戸時代に入ると徳川将軍家から庇護され寛永18年(1641)には3代将軍徳川家光から朱印状50石が安堵、お楽の方(4代将軍家綱の生母)の安産祈願所になるなど再び寺運が隆盛し最盛期には本寺、末寺合わせて99ヶ寺を擁する大寺となりました。明治43年(1910)の火災で五重塔を含め多くの堂宇を焼失、その後復興しています。
北山本門寺山門は昭和61年(1986)に造営されたもので、入母屋、銅瓦棒葺、三間一戸、八脚楼門。寺宝である貞観政要(巻第一)は鎌倉時代に日蓮が筆したもので昭和27年(1952)に国指定重要文化財に指定されています。細字金字法華経は平安時代に製作されたもので、藍紙、昭和29年(1954)に国指定重要文化財に指定されています。宗派:日蓮宗。本尊:曼荼羅。
|