富士宮市: 村山浅間神社

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概要・歴史・観光・見所
村山浅間神社(富士宮市)概要: 村山浅間神社は静岡県富士宮市村山に鎮座しています。村山浅間神社の創建は孝昭天皇2年(187)に富士山中腹の水精ケ岳に勧請されたのが始まりと伝えられています。当時は朝廷が庇護し社領の寄進や社殿の造営が行われ、大宝元年(701)に役行者が現在地に遷座、坂上田村麻呂も当社を訪れたと云われています。平安時代に入ると神仏習合し、末代上人が大日堂を建立、平安時代成立した「地蔵菩薩霊験記」によると末代上人は厳しい修行の末即身仏となり富士山の守護神になった事が記載されている事から富士山信仰の原型が村山の地で発生したと考えられています。鎌倉時代に入ると僧頼尊が富士行を創始した為、富士修験(村山修験)の道場として社運が隆盛します。村山浅間神社の別当寺院である興法寺の創建は不詳ですが、正嘉3年(1259)の銘がある大日如来坐像が安置されていた事から、少なくと鎌倉時代には成立していたと推定されています。

戦国時代に入ると駿河国の領主今川家から崇敬され社領の安堵や保護政策が行われ、7坊を擁する大社となり、その後に領主となった豊臣秀吉は社領75石、江戸時代に入ると幕府から朱印状94石5斗が安堵されました。江戸時代初期には7坊は池西坊・辻ノ坊・大鏡坊の3坊に集約され「村山三坊」と呼ばれるようになり、この三坊が信仰の中心となり、富士山村山口の登拝道や山頂の大日堂の管理されています。

江戸時代中期になると一般民衆の物見遊山が盛んになり富士講を称して多くの人達が富士山登拝に当社を利用し、浅間本宮大社と並び賞される程隆盛、万延元年(1860)にはイギリス公使オールコックは村山浅間神社の坊の1つである大鏡坊に泊まり外国人最初の富士山登頂者となりました。江戸時代まで、別当寺院である興法寺が祭祀を司ってきましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令と明治5年(1872)の修験道廃止令により仏式が廃され村山浅間神社として独立し、興法寺は廃寺、仏像と仏具など仏教色の強いものは大日堂に遷され施錠、村山浅間神社との間には柵が設けられ境内も分離、大正13年(1924)に県社に列しています。

現在でも村山浅間神社の境内には大日如来を祀る大日堂(旧興法寺本堂※平成25年:2013年に「富士山興法寺大日堂」と名称変更)の建物や護摩壇、水垢離場(竜頭滝:池)、石仏などが残され、特に大日堂は江戸時代末期に造営されたもので、木造平屋建て、正面入母屋、背面寄棟、金属板葺き(元茅葺)、妻入、桁行3間、張間3間、正面1間向拝付き、建物としては境内に残る神仏習合時代唯一の遺構として貴重な存在です。村山浅間神社は平成22年(2010)に名称「史跡富士山」として国指定史跡に指定され、平成25年(2013)に名称「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」としてユネスコの世界遺産に登録されています。

村山浅間神社の文化財
・ 境内(史跡富士山)−国指定史跡
・ 大スギ-推定樹齢1000年,幹周9.9m,樹高47m-静岡県指定天然記念物
・ イチョウ-推定樹齢300年,幹周9.2m,樹高16m-静岡県指定天然記念物
・ 天象の図−富士宮市指定有形文化財
・ 太郎坊権現の図−富士宮市指定有形文化財
・ 阿字曼陀羅−富士宮市指定有形文化財
・ 伝末代上人画像−富士宮市指定有形文化財
・ 大日如来坐像(胎蔵界)-正嘉3年-聖運の作-富士宮市指定有形文化財
・ 大日如来坐像(金剛界)-文明10年-渡邊行忠作-市指定有形文化財
・ 大日如来坐像(胎蔵界)-室町末期-像高約70cm-市指定有形文化財
・ 役行者倚像−富士宮市指定有形文化財
・ 不動尊像−富士宮市指定有形文化財
・ 社叢−富士宮市保存樹林

村山浅間神社:写真

村山浅間神社
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