普済寺(浜松市)概要: 広沢山普済寺は静岡県浜松市中区広沢に境内を構えている曹洞宗の寺院です。普済寺の創建は鎌倉時代、寒厳義尹(後鳥羽天皇又は順徳天皇の皇子、鎌倉時代中期の曹洞宗の禅僧)によって開山されたのが始まりとされます。
当初は随縁寺と称し現在の浜松市寺島の地にありましたが、永享4年(1432)、吉良氏が開基となり華蔵義曇(肥後国:大慈寺の僧)が中興開山し寺号を普済寺に改め現在地に移しています。当地方の曹洞宗寺院の中心的存在で特に西遠江では絶大的な影響力を持ち、教派は13派(460ヶ寺)を数えます。
戦国時代には徳川家康が帰依し、家康の遠江侵攻時には本陣となり、三方ヶ原の戦いの兵火で焼失後の天正10年(1582)には七堂伽藍を造営しています(三方ヶ原の戦いで家康が敗北すると、一目散に浜松城に逃げ帰り、浜松城が炎上しているように偽装する為に普済寺など徳川軍自ら放火したと伝えられています)。
江戸時代に入ると幕府から庇護され朱印地を安堵されています。明治30年(1897)の火災と昭和20年(1945)の戦災によって多くの堂宇、寺宝、記録などが焼失し往時の建物は山門や雲夢橋などのみになってしまいました。
日本三大稲荷として知られる豊川稲荷こと妙厳寺(愛知県豊川市豊川町)は普済寺を本寺といている事から、豊川稲荷は当寺の境内に鎮座している北山稲荷(咤枳尼真天)を勧請したとも云われています。総門は切妻、桟瓦葺き(鯱付き)、一間一戸、薬医門形式。山門は切妻、桟瓦葺き、一間一戸、四脚門、門扉無し、木部朱塗り。山号:広沢山。宗派:曹洞宗。本尊:釈迦如来。
|