曳馬城跡(浜松市)概要: 曳馬城の築城は諸説あるそうですが今川貞相(遠江今川氏4代当主)が築いたのが始まりとも云われています。永正9年(1512)には当時の遠江守護の斯波氏と今川氏との抗争があり永正11年(1514)以降は今川氏に従った飯尾乗連が城主になったとされます。桶狭間の戦いで今川義元が討死すると今川氏が急速に衰退し、当時の城主飯尾連竜は今川を離反し徳川家に付いた為、永禄8年(1565)今川氏真の猛攻にあい大きな被害を受けます。連竜は今川家からの和睦を受け入れ駿府に向うも策略により忙殺されてしまいます。
連竜の嫡男義広は幼少だった為、奥方であるお田鶴の方が城主となりましたが永禄11年(1568)、混乱に乗じた徳川家康が曳馬城に侵攻しました。お田鶴の方は家臣200余名を率いて壮絶な攻防戦が繰り広げられ、お田鶴の方も自ら薙刀を取り侍女18名と共に戦いましたが悉く討死し曳馬城は落城しました。
その後、徳川家家臣の酒井忠次が城主となり、元亀元年(1570)、曳馬城を拡張する形で浜松城を築城し家康の居城となっています。現在、曳馬城跡の一角には東照宮が鎮座しています。
|