田沼街道起点(牧之原市)概要: 田沼街道は当時の相良藩主田沼意次が領内整備の為に開削し萩間川の湊橋から志太(現在の藤枝市)で東海道(幕府が整備した五街道の一つ)に合流するまでの街道です。現在、旧相良城の跡地に田沼街道の起点となった湊橋の親柱が移されています。元々、萩間川には橋が無く、対岸へは渡し船などで行き来していましたが、田沼意次は萩間川左岸を埋め立て湊橋を架けた事で飛躍的に交通の便が向上、さらに居城である相良城までの主要道などは、当時としては珍しい四間(約7.3m)の道路を確保し、道路沿いの民家(町屋)は他藩ではまだまだ主流だった茅葺屋根から瓦葺きへと推奨しました。これらの政策により相良城の城下町の経済は飛躍的に発達し人口も約1.5倍程に増加したとされます。
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