大見城(伊豆市)概要: 大見城の築城年は不詳ですが平安時代末期、大見平三家政か、子の大見小藤太成家が築いたのが始まりと伝えられています。 大見氏は源頼朝に従い軍功を挙げましたものの、その後の政争に敗れた為、新たな領地となった越後国白川荘に本貫を遷し当地を去っています。その後、室町時代中期頃まで大見城の城主は不詳ですが明応6年(1497)の狩野氏による柏久保城攻めの際には、城方(北条早雲)の大見三人衆が大見城を拠点として狩野軍の背後を突く功績を挙げています。歴史上明確なのは他になく、北条早雲が伊豆国の平定の過程で拠点の一つとして利用されたと思われますが、平定後は軍事上の重要性が失われ廃城になったようです。
現在の大見城の遺構は戦国時代のものと推定されることから小田原北条氏が支配した時期に大幅な改修が行われたと思われます。大見城は城山と呼ばれる標高207m(比高60m)の山城で山頂付近に南北約20m、東西約15mの本廓を設け、その下は4段程小さな廓が配置され、それにそって空堀や土塁が囲い、出入口は虎口風の枡形が見られます。又、麓に境内を構えている実成寺の境内一帯は大見氏の居館跡とも云われ、その一角には大見平三家政の墓が遷され篤く供養されています。
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-伊豆市教育委員会
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