【 概 要 】−今川 範氏は正和5年(1316)に今川家初代である今川範国の嫡男として生れました。観応の擾乱(1349〜1352年)の際には足利尊氏方に与し、今川軍の主力として観応2年(1351)9月11日には駿河国車返で9月27日には手越河原で激戦が行われ11月16日には足利直義方が拠点としていた駿府を奪還しています。正平8年(1353)、今川家の家督が譲られ、駿河守護に就任、正平20年(1365)に死去、享年50歳。菩提は慶寿寺(静岡県島田市)に葬られ、慶寿寺の境内には今川 範氏と大野九郎兵衛の墓碑が建立されています。
慶寿寺の案内板によると「 範氏公は今川家初代守護職範国の嫡子で青年期から父と共に従軍して武功をたてている。生前受領した官名 上総介 中務大輔。正平6年9年、父載国に次いで駿河、遠江2ヶ国の守護職に任ぜられる。正平7年、鎌倉より西駿に下る(1352年)六合村の岸城、落合城の土岐勢を破る。土岐氏の本城徳山城攻略(2月25日)大津城構築。正平8年、慶寿寺創建、八幡宮創立。天正9年以降情勢の変化により根○を葉梨荘に進駐したと考えられる(文和3年)1354年・・・後略 」とあります。慶寿寺の境内には今川範氏と大野九郎兵衛のものと伝わる墓碑が建立されています。
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