【 概 要 】−太田資直は万治元年(1658)に太田資次の次男として生まれ、貞享元年(1684)に資次の死去に伴い太田家の家督と掛川藩(静岡県掛川市・藩庁:掛川城)5万石を継いでいます(元々は5万2千石でしたが、弟である太田資方に2千石を分地しています)。同年に田中藩(静岡県藤枝市・藩庁:田中城)に移封となり初代藩主に就任すると、幕政でも重用され貞享2年(1685)には奏者番、若年寄、貞享3年(1686)には5代将軍徳川綱吉の近習に任ぜられています。久能山東照宮の修復などの尽力しています。宝永2年(1705)に死去。享年48歳。戒名:高徳院殿道祐日運大居士。菩提寺は領内の名刹である大慶寺(静岡県藤枝市)で、資直が死去した際、田中城に在していた事もあり大慶寺に位牌が安置され境内には墓碑が建立されました。資直の跡を継いだ太田資晴は同年に棚倉藩(福島県棚倉町)に移封となり、墓碑を領内に遷さなかった為、引き続き大慶寺が管理しています。
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